丹波市 市場を核にした古い町の面影を偲ぶ町並み

奈良県
天理市
丹波市




交通

JR桜井線天理駅、近鉄天理駅下車徒歩





丹波市



2007.03.12
丹波市は現在の天理市の旧市街のことである。丹波市という地名は「丹波庄の市場」から起こったもので、記録に現れるのは室町中期以降である。村は糀屋、油屋、鍛冶屋の三昧米から構成され、月6回の市立て、いわゆる六歳市が行われていた。元和3年(1617年)からの交通政策により、伊勢、大和、山城の四カ国にわたる整備と宿場の保護が行われ、丹波市は津・藤堂藩の宿場町に指定された。街道の往来が増すに連れて市場町が形成され町は拡大し発展した。宿場としての機能を失った明治以降も市場町としての賑わいは続いた。
天理駅から河原城町の商店街を抜け南へ向かって歩く。国道25号線を渡ると町名が丹波市となり、細い旧街道に古い町家が現れ始める。小さな川を渡ると左手に石垣、板壁、漆喰、瓦屋根の調和が美しい宮崎酒造がある。旧街道は緩く左へカーブし突き当たって右に折れると今度は真っ直ぐ南へ延びる。丹波市の中心市街は道幅が大きく広場のような空間になっている。これは、道の真ん中に水路があったためで、現在では暗渠化されているからである。道の真ん中に吹きさらしの屋根がかかった変てこなものがある。ここはかつて魚市場があったところで、明治時代に造られた陽(ひ)屋根である。現代風に言えば木造のアーケードだ。この広場のような空間の周りに古い民家が軒を連ねている。2階建ての漆喰塗籠造りもあれば草屋根(トタン屋根)の建物も残っていて町の歴史の深さを感じる。2階建ても1階建ても、棟高と1階軒高をそろえているところが面白い。旧街道をさらに南下すると道幅は狭まり、100mほどで町並みが終わる。
宮崎酒造
川べりの石垣、板壁、漆喰、瓦屋根の調和が美しい。
丹波市の町並み
かつては道の真ん中に水路があったが今は暗渠化されたため広場のようになっている。
道の真ん中の構造物は明治期に造られた木造の陽(ひ)屋根と呼ばれるアーケード。かつてはこれが続いていたのであろうか。
広い道幅の片側には古い町家が連続して残っている。1階建て2階建てともに胸高、1階の軒高をそろえているのが面白い。
陽屋根下から町家を眺める。
角の町家は入母屋形式。
市座神社の鳥居下から町並みを見る。
丹波市の町並み
丹波市の町並み
丹波市の町並み
丹波市の町並み
町の南端近く
参考資料 リンク
天理市

参考文献