平戸島
志々伎
唐破風玄関が特徴な平戸島志々伎湾を臨む港町

長崎県
平戸市
志々伎





交通






志々岐





2018.04.30
平戸島は、長崎県の西北に位置する島。古来、平戸島は「庇羅の島」と呼ばれた。「平」は庇羅、「戸」は庇羅の島と肥前の陸地との門であったため「ひらのと」となり、鎌倉時代から平戸島と呼ばれるようになった。東アジアの海上交通の要衝として知られ、天文19年(1550年)に初めてポルトガル船が来航、フランシスコ・ザビエルも上陸してキリスト教の布教に従事している。引き続いてイスパニア号・オランダ船・イギリス船も来島し、慶長14年(1609年)にはオランダ商館が、同18年にはウイリアムス・アダムス(三浦按針)によってイギリス商館が設立された。しかし、寛文18年(1641年)のオランダ商館長崎移転により平戸の外国貿易は停止し、以後は平戸藩松浦氏の城下町として栄えた。九州本土とは昭和52年4月、平戸大橋の完成によって結ばれた。「史と浪漫の島平戸」をキャッチフレーズとし、古代からの歴史的文化遺産と自然景観を観光資源とした異国情緒あふれる城下町である。(「シマダス」参照)
平戸島の南端に位置する志々伎は、広く湾入した志々伎湾沿岸の地域で、南岸は半島状に細長く突出した野子半島と呼ばれる。北に屏風岳、西に早福岳が連なる。志々伎漁港は、志々伎湾北部最奥部に位置する。前面の海域には大小の曽根が散在し、沿岸の好漁場にも近く、沿岸漁業の前進基地として、県内、県外の漁船の利用が盛んに行われている。港には町場が形成されていて、清酒「福鶴」を醸す福田酒造があるほか、かつて旅館だったような佇まいの建築が並ぶ一角が残っており、往時が偲ばれる。

志々伎の町並み
旅館だったような建物が残る
 
志々伎の町並み
唐破風の玄関が付いた家が複数あった
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
志々伎の町並み
唐破風の玄関がある建物
志々伎の町並み
福田酒造
参考資料 リンク
平戸市

参考文献