長崎
南山手
石畳の坂道から港を見下ろす旧居留地

長崎県
長崎市
南山手町





交通

JR長崎本線長崎駅より市電利用





南山手





2005.07.17
長崎は、ポルトガルとの南蛮貿易港として元亀2年(1571年)に創られた港町である。江戸徳川幕府の鎖国時代でも唯一の貿易港として、オランダと中国との交易だけが許され、全国で唯一長崎港だけが開かれていた。鎖国時代は出島に外国人居留地を造り、西欧文化の玄関口となっていた。長崎は他の都市が明治維新後西欧文化が入ってきたのとは違って、ずっと昔から途切れることなく海外に接していた町である。
明治期になるとそれまでの独占的な立場は失ったが、三菱造船所が出来て近代工業都市として発展した。第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8/9に原爆が投下され、町は廃墟となった。しかし、同じく原爆が投下された広島とは地形の点で大きく異なっており、起伏の激しい地形によって爆風から免れた建物がいまでも残っている。
その代表的なエリアの一つが、安政6年の開国の後、外国人居留地として整備された東山手と南山手である。そこには数多くの洋館住宅が建設され、教会堂や領事館、銀行、学校などの建築も建てられた。南山手には、観光で多くの人々が訪れる「グラバー園」がある。ここは、南山手の居留地の一部を区画してテーマパークにしたものであり、園内には特に重要な洋館が保存されて入るものの、園外にも自然体の貴重な町並みが残っている。洋館に挟まれた細い石畳を下ると海や対岸の稲佐山が見える。その空間こそ南山手で味わわなければならない場所である。

大浦天主堂はあまりにも有名な教会堂。人のいない大浦天主堂はなかなか見ることは出来ない。(上、左上)

グラバー園(左)
グラバー園は観光に傾倒しすぎている。バリアフリーのエスカレーターを建設するがために洋館をつぶしては意味が無い。
杠葉病院
25年前、「グラバー園の外にも洋館があるんだ」とこの建物を見て知った。
杠葉病院別館
屋根に港を望む展望台らしきペントハウスが付いている。
清心修道院マリア園。(左)

修道院の横のドンドン坂(下)
港と対岸の稲佐を臨む坂道。
長崎でよく見るゴミ置き場とバイク・自転車置場。
急坂が多く車が入れない場所が多いので、坂の下の通りには山のようにゴミが盛られ、自転車やバイクがズラッとならぶ場所をよく見かける。
旧香港上海銀行長崎支所
この写真は、かれこれ23年前に撮影した港にあった洋館。その後何度かこの建物を探したが二度と会えない。取り壊されたのであろう。(1980年頃)(左)

大浦町界隈。丘の上は洋館の邸宅町だら丘の下は建て込んだ町である。
参考資料 リンク
長崎市

参考文献
『図説 日本の町並み11 北九州編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社