黒島 カトリック教徒の移住した集落が点在する島

長崎県
佐世保市
黒島町
本村
名切
古里
根谷
田代






交通
相浦港より定期船





黒島





2018.03.21



佐世保市の相浦港から出航した「ニューフェリーくろしま」は、途中高島に寄り、黒島の白馬港に着く。沖合から見ると、平に広がるなだらかな姿をしている。西と東にやや高くなったところがあり、五島に近い西が「番岳」、中学校のある東が「岳」と呼ばれている。番岳には寛永17年(1640年)、鎖国中の日本に異国船が近づくのを警戒するための見張り所がおかれた。住民の7割がキリスト教徒といわれ、島の中ほどにあはカトリック黒島教会の名切天主堂がある。禁教令で弾圧をうけたものの、各所からキリシタンが移住し、出口大吉宅で密かに信仰が続けられていた。明治19年から修道会愛苦会の保育・福祉・奉仕が進められ、女性修道者の自給自足の生活(通称「女部屋」)がみられた。(「シマダス」参照)
弾圧されていたカトリック教徒が島内の各所に移住したことにより、集落が広範囲に点在して形成されている。港に近い本村と東端の古里という集落だけが仏教徒で、他の集落は全てカトリック教徒。これらの点在するカトリック教徒の集落は、まさに隠れるように、島の外から見えづらく隠れるようにあると感じるのは見る者の気のせいか。
黒島本村の町並み
本村が島で最初に開拓された集落なのだそうだ。隠れキリシタンの島では「本村」という集落だけは仏教徒というのは他の島にも見られる。

黒島本村の町並み
立派な石垣が築かれている。石種は島で採れる「黒島石」と呼ばれる御影石。墓石に使われる石材で、かつては石工がたくさんいたそうだ。


名切の黒島天主堂
明治35年、フランス人マルマン神父の指導と、黒島教徒の協力により完成した煉瓦造大聖堂。長崎県の天主堂は鉄川与助の手によるものが多いが、ここはそうではないようだ。内外ともにプロポーションがとてもいい。
前面の塔と外周は煉瓦壁、内部の屋根架構はハイサイドライトのある下見板張りの壁・ヴォールト天井含めて木造でである。写真には写ってないが、ケヤキ材を束ねたようなデザインの木柱の脚部は黒島石を丸ごと無垢で削り出し、装飾を彫り上げた見事なものであった。
名切集落
東堂平の修道院
古里の砲台跡
東堂平集落
古里集落(上)
島北東部の集落。向こうに見えるのは高島。

値谷集落(左)
島南東部の集落。
田代集落
島中央部の集落。石垣が見事。
田代集落
蕨集落
島南西部の集落。集落の上に畑が広がっていて、開拓の風景が見える。
蕨集落
参考資料 リンク
佐世保市

参考文献
「日本の島ガイド シマダス」(㈶)日本離島センター