富江黒瀬 溶岩塊の石垣が見られる外海に面した漁村集落

長崎県
富江町
(五島市)
富江
黒瀬





交通






黒瀬


富江




2010.04.25
五島列島は、かつて宇久氏の支配時代、宇久島・中通島・若松島・奈留島・福江島の五島を総称したことに由来する。現在は、宇久島(小値賀島、野崎島含む)は平戸諸島とされ除かれる。本土に面した東側を表五島、西側を裏五島とよび、主集落は東側に集中しており、地塁山地が沈降してできたリアス式海岸が発達している。奈留島以北の上五島は主漁副農、以南の下五島は主農副漁である。
福江島は五郎列島の主島。対馬暖流の影響で気候は温暖、東シナ海の荒波を受けた見事な海食崖や、わが国でも珍しい小型のホマーテアスピーデの火山群など、美しい自然景観を誇る。古くは、「大値賀島」と呼ばれ、遣唐使の寄留地や倭寇の根拠地として大陸との交流の中継基地となっていた。弘和3年(1383年)宇久島の宇久氏が福江に進出、文禄年間(1592〜96年)には五島氏を名乗り、江戸時代に入って1万2600石の五島藩主として支配した。

旧富江町は、古くは戸の浦と呼ばれていたが、寛永15年(1638年)に戸の浦→富江に改称された。江戸時代には五島氏の所領で陣屋が置かれ、明治中期から大正にかけてはサンゴ、カツオ漁の基地として栄えた。現在の産業は農業・水産業が中心だが、サンゴ加工技術が引き継がれており、サンゴ加工品は富江の特産品として名高い。
外海に出っ張った半島の東側付根にある富江には、旧富江町の中心らしく寂れながらも商店街や大きな屋敷跡がみられる。
また、半島の西側付根にある黒瀬は捕鯨で繁栄した集落。五島では、寛永3年(1626年)に紀州湯浅の住人庄助が来島し、最新の技術を用いて捕鯨を行ったのが始まりという。その後、平(宇久島)、潮井場(小値賀島)、有川・似首(中通島)、小島・黄島・柏そしてここ黒瀬(福江島等)の各地区に納屋場と呼ばれる捕鯨基地が設置され、捕鯨を営む鯨組から運上が諸藩の財政を大いに潤したというが、各地とも文久年間(1861〜1864年)までに漁獲が著しく減少し衰亡したとされている。

黒瀬集落の町並み
港に注ぐ川の河口を挟むように集落が形成されている。
黒瀬集落の町並み
海岸に面するところは防風のために石垣が積まれている。石垣は溶岩塊そのもの。
黒瀬集落の町並み
縦板貼り外装の民家が多い。
黒瀬集落の町並み
石と煉瓦の塀
黒瀬集落の町並み
溶岩塊の石塀・石垣の集落
黒瀬集落の町並み
珍しい石蔵をみつけた(左)



富江港と富江市街を見下ろす(下)
富江の町並み
港からの商店街(上、左)
富江の町並み
富江の町並み
空き地ながら屋敷地の石塀が残る
富江の町並み
富江小学校の石塀
富江の町並み
溶岩塊の石塀
参考資料 リンク
五島市

参考文献