壱岐久喜 帆船時代から栄えた壱岐の海運業の集落

長崎県
壱岐市
石田町
久喜
印通寺





交通






芦辺町瀬戸浦


芦辺町印通寺





2011.05.29

石田町久喜は、壱岐島(※)の東南部に位置する。斜面上に所狭しと密集する集落の様は、いわゆる密集系漁村の典型と思われがちだが実は趣が違う。一つ一つの家の規模が大きく、海岸線に面する屋敷は特に大きい。そして、斜面上に家屋が密集していながら、かなりの家が道路付きとなっている。久喜は、帆船時代から栄えた海運業の集落。その富が集落の様式に現れているのであろう。港は199t〜399tクラスの鋼船の基地であり活気がある。久喜触(くきふれ)地区は町村合併前の旧石田町の人口の1割以上を占めており、1戸あたりの子供の数は多く4〜5人といわれている。

※壱岐島(いきのしま)は、九州北部福岡から67km、玄界灘に浮かぶ夢の浮島「壱岐」。古来、対馬島とともに日本と朝鮮半島・中国大陸との交通の要路にあって飛び石的な存在として重要視されてきた。寛仁3年(1019年)の刀伊の来寇、文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)の2回にわたる元寇で大きな被害を受けた。元亀2年(1571年)平戸の松浦氏の所領になり、江戸時代は平戸藩に属していた。地形は比較的なだらかで耕地比率も高く、全体の約34%を農耕地で占めている。また、現在では、九州北部の奥座敷として根強い観光人気がある。

久喜の海岸に面した町並み(左上)
門や玄関扉に海運業の会社名が書かれた家が多く見られた。歴史的な海運業の集落は、現役で活躍している。(左下、上)
久喜の町並み
こうして眺めるとやや規模の大きな密集系漁村集落だと錯覚するが、なんとクルマはそれぞれの家までアクセスすることができる。

久喜の町並み


久喜の町並み
印通寺の町並み
壱岐の玄関口のひとつ
印通寺の町並み
参考資料 リンク
壱岐市

参考文献