口之津 南蛮貿易とキリスト教布教地として開かれた港町

長崎県
口之津町
西大泊
東大泊
仲町





交通

本渡よりバス利用





口之津





2005.07.25
口之津は島原半島の南端に位置し、その地名の起こりは「有明海の入り口の港」という古くからの港であった。港町としては、1562年(永禄5年)有馬氏によって南蛮貿易とキリスト教布教の地として開かれ、イエズス会の本拠地となった。明治以降は石炭積出港として開港の指定を受けている。現在は島原半島と天草下島との間の早崎瀬戸通行船の潮待港として利用されているが、天草下島の鬼池港間の観光フェリーで訪れる人が多い。諫早からの私鉄島原鉄道が通っており、終点の加津佐にも近い。
口之津港は内海である島原湾に面する入江で、一番奥に島原鉄道の口之津駅がある。市街地は入江を取り囲むようにあるが、旧港町はその南側の沿岸に細長く形成されている。港の入り口に近い位置に旧口之津税関(現歴史民族資料館)があり、近くに船溜があって町が始まっている。町並みは海岸線に沿った一本の通りに面して両側一皮ずつの路状集落で所々地形に従って山側に膨らんでいる。町並みを形成する民家は間口の狭い妻入で板壁に覆われており、背後に庭や付属屋を配している。仲町あたりに鈎型に通りが曲がる箇所があるが、そこに平入の比較的大きな民家があったので旧市街の中心と思われる。屋根瓦は漆喰で固められたものを多く見かけるので、台風時には風の強く吹く地形なのであろう。
旧口之津税関跡
天草下島の鬼池港からフリーで口之津港に入ってくると左手にまずこの旧税関の建物が現れる。ここから港町が始まる。
旧税関近くは小さな入江の船溜りになっていて町並みは湾曲している。煉瓦塀をたたく築いた屋敷があった。
洋風窓の民家(左)

潮風が強い地なのであろう、民家は板壁に覆われたものが多い。(下)

入母屋屋根の破風面に鏝絵がある民家があった。
風が強い地なのであろう、瓦を漆喰やセメントで固定した民家を多く見かけた。
仲町付近の町並み
仲町付近の町並み
鈎型に道が折れるところに比較的大きな民家があった。この辺が旧港町の中心だろうか。
仲町付近の町並み
町並みは一本の通りに面しているが、これは背後から見下ろしたところ。付属屋で囲まれた中庭を持つ。
参考資料 リンク
口之津町

参考文献