長崎出雲 港町長崎に設置された遊郭 今や急坂の住宅地

長崎県
長崎市
出雲町





交通

市電石橋駅より徒歩





長崎出雲





2005.06.17
「全国遊郭案内」(昭和5年 日本遊覧社刊)によれば、昭和初期の長崎市内には、「丸山遊郭」、「出雲町遊郭」、「戸町遊郭」、「稲佐遊郭」の4箇所があった。その中の一つ、出雲町遊郭は南山手の大浦天主堂の近くで、かつては長崎駅から市電に乗って出雲町で下車すれば直ぐの位置であった。現在、市電は石橋が終点となっている。旧遊郭は明治26年に設立されたもので、歴史ある丸山に対して新しい遊郭と言われていた。それまで散在していた私娼の風紀を取り締まる必要性から生まれたものと思われる。昭和初期で9件の貸座敷が
があったそうで、両側に姑楼が並んだ通りの中央には川が流れていたという。「旧赤線跡を歩く」では、昭和初期から存在していた旧小松楼が残っていると掲載されていたが、探せど見当たらない。あとで写真と本とを見比べたら旧小松楼は取り壊されており、大きな空地になっていた。他にも本に載っている建物は姿を消しており、このサイトに掲載すべきか悩むほどしか残っていなかったのは残念である。だが、長崎の町らしい場所だったのであえて取り上げることにした。
旧出雲町遊郭から斜面上に展開する住宅地を見上げる。長崎の住宅地はみなこんな感じ。
旧出雲町遊郭の通りを上っていく。古い建物は2,3軒しか残っていない。

一番奥の通り左手の建物の隣に旧小松楼が建っていた。煉瓦塀に囲まれ、蔦が絡まる木造3階建ての佇まいを見ることが出来なかったのは残念だ。(上
旧出雲町遊郭の通りには中央に川が流れていたという。

旧出雲町遊郭東側の斜面の等高線に沿って連なる路地。こういう横道はずっと続いている場合が多い。(上、左上)
斜面の横道から旧出雲町遊郭跡を見下ろす。中央の駐車所になっている空地が急小松楼のあった場所。(左)
参考資料 リンク
長崎市

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社