久賀島 農業と漁業の両方が営まれる豊かな集落景観

長崎県
五島市
久賀町
五輪

久賀





交通
福江港より定期船






久賀島五輪


久賀島蕨


久賀島久賀





2017.05.04



福江島の北東海上11.3kmに位置している。昭和32年11月に福江市に編入合併するまでは一島で久賀島村を形成していた。対馬暖流の影響で気候は温暖、傾斜性沈降海岸のため海岸線は複雑で久賀湾が5kmも湾入する。久賀・猪之木地区では農業が、田ノ浦・蕨地区では漁業が営まれている。遣唐使船や空海が立ち寄ったといわれ、また「久賀島郷土誌」によれば「平家の落人伝説」や「隠れキリシタン伝説」、さらに一夜にして沈んだとされる幻の島「高麗島」の移民伝説などが伝わり、「伝説の島」としてのイメージが強い。もとは、「千坂島」と表記していたが、寛永15年(1638)、深江(福江)の石田陣屋の竣工を祝して「久賀島」となったといわれている。日本最後のキリスト教信者大弾圧の起こった島として宗教史上忘れることのできない島である。(「シマダス」参考)
久賀島は農業と漁業の島、どちらかというと農業に重視する人が多い。集落としては、隣の奈留島に比較して立派に感じる。島がU字型をしており、5kmも湾入する久賀湾の周りが農業が営まれており、中心集落久賀には、立派な石塀を築いた屋敷がつづく町並みを見ることができる。一方、外周の集落は漁業を営んでおり、蕨地区は立派な主屋が建ち並ぶ集落景観を形成している。五輪地区は、隠れキリシタンが外海から入植した集落のひとつであり、下五島で最も古い五輪教会が残っている(世界文化遺産)。
五輪教会
1881年に浜脇地区に建てられた教会が、その後五輪地区に移築された。
五輪教会
五輪教会
五輪集落
現在は教会のほか2世帯の住宅しかないが、かつては缶詰工場まである集落だった。
蕨の集落の町並み
蕨の集落の町並み
漁業で栄えた
蕨の集落の町並み
蕨の集落の町並み
蕨の集落の町並み
蕨の集落の町並み
蕨の集落の町並み
久賀集落の町並み
農業で栄えた。画像はかつての庄屋宅である。
久賀集落の町並み
久賀集落の町並み
久賀集落の町並み
久賀湾
参考資料 リンク
五島市

参考文献
『シマダス』㈶日本離島センター