端島
(軍艦島)
日本の近代化を支え捨てられた炭鉱町「軍艦島」

長崎県
長崎市
高島町
端島





交通

野母崎港よりクルージング船(上陸はできません)





端島





2005.07.25
長崎県野母崎の来た約5kmにある端島は、周囲1.2km、面積0.06kuの小さな島である。かつてこの島には、約5300人が住んでおり日本一の人口密度を記録していた。
文化7年(1810年)岩礁に過ぎなかったこの島で石炭の露頭が発見され、明治23年には三菱の所有となって本格的な採掘が始まった。ボタで周囲を埋め立てながら島の面積を2.3倍にまで拡大し、国内有数の炭鉱として発展した、閉山まで83年間で計1500万トン以上を出炭した。限られた土地を有効活用するために、高層の鉱員住宅や学校、役場支所、病院、購買店、映画館などの生活に必要な施設が立体的に構築された。昭和34年には人口密度日本一を記録するまでになった。だが昭和40年代から出炭が減少し、安全に採掘できる石炭が枯渇したとして昭和49年1月に閉山、その3ヵ月後には無人化した。
現存する日本最古の鉄筋コンクリート建造物である大正5〜7年に建てられた7〜9階建てアパート群など50棟近い高層建築物が残されており、近代化遺跡として注目されているが、風化荒廃が進んでいる。
現在は上陸は危険を伴うため厳しく取り締まりを受けているが、外周を一周して外から見物することができるクルージングがある。外海の荒波に現れながらたたずむ人工の島は、見るものに強烈な印象を与えてくれる。この島を目の前にして何を感じるか。集落町並みマニアならずとも一度は訪れたい必見の集落である。

島の内部の写真は東京都のNOJIさん、I.N.さんのご協力を得て画像を掲載した。お二人のご厚意には心より感謝いたします。
軍艦島を北方向からみる。防波堤の角が白くなっているのは平成3年の台風で崩れた後補修されたところ。台風の通り道であるため島内の荒廃は激しい。(上、左)

手前の低層の建物は端島病院。その近くに端島小中学校。一際高い建物は島内最大の居住棟である65棟(約300世帯)。(上、左)
近代的な建築の70棟。棟番号が最も大きいので最後に建ったものであろう。(左)

西岸を眺める。防波堤のウネウネが印象的。(下)
真ん中あたりに規則ただしく3棟並んでいるのが61〜59棟で、地下に風呂場や購買店があった。その右は日本で最初の屋上庭園を持つ16〜20棟。中央奥に見える社は端島神社1号。(上)

西岸南寄りを眺める。右手の長い建物は31棟で、1階に郵便局、地下に風呂屋が入る。その左手にはお寺があり(荒廃)、さらに左に映画館「昭和館」、白い窓の無い建物は公民館。山の上には鉱長の木造社宅があった(荒廃)。(左)
島の西側全景。(上)

中央のグレーの四角い建物は30号棟で日本最初の鉄筋コンクリート建物(大正5年)(左)
島を南側より眺める。(左)
島を南東方向から眺める。島の東側半分は炭鉱のための施設、西側が居住のための施設という構成になっている。(左)
島の中ほど東側。煉瓦造の建物が頭をのぞかせている。背後の住棟が空中歩廊で接続されているのが分かる。
島の北東部、70棟を眺める。
 写真:NOJIさん(東京都)提供
 写真:I.N.さん(東京都)提供
参考資料 リンク
長崎市
軍艦島3.0

参考文献