福江
繁華街
県下史上最大の大火から復興した町と免れた町

長崎県
五島市
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福江町





交通
長崎港より九州商船





福江繁華街





2017.05.03



長崎港の西海上約100kmの東シナ海にある五島列島の主島。対馬暖流の影響で気候は温暖、東シナ海の荒波を受けた見事な海蝕崖や、わが国でも珍しい小型のホマーテ・アスピーデの火山群など、西海国立公園の中でも特に美しい自然景観を誇る。古くは「大値賀島」と呼ばれ遣唐使の寄留地や倭寇の根拠地として大陸との交流の中継基地となり、貴重な歴史・文化資源を今も数多く残している。弘和3年(1383)宇久島の宇久氏が福江に進出、文禄年間(1592~96)には五島氏を名乗り、江戸時代に入って1万2600石の五島藩主として支配した。三方を海に臨む海城として知られた石田城は、黒船の来航に備えて嘉永9年(1849)に築造されている。福江市は福江島の東部に位置し、五島藩の城下町として栄え、現在でも五島列島の政治・行政・経済の中心地。古来、深い入り江の「深江」と呼ばれていたが、寛永15年(1638)石田陣屋の竣工を機に「福江」と改称された。(「シマダス」参考)
福江は1962年(昭和37年)、長崎県では過去最大の大火が発生した。全半焼が811世帯13万㎡というものであったが、幸いに死者はゼロ。福江の中心市街地のほとんどを焼失し、その後離島ではまれな規模の復興都市区画整理事業が実施された。
大火で焼失しその後復興した街と大火を免れた街を比較して歩く。復興の街は、復興都市に共通して見られるアーケードによる商店街が形成されており、昭和30~40年代の看板建築やRC造建築が純度高く並んでいる。この一時期の純度が高い建物が町並みを形成しているというのが復興の町の共通した現象である。
一方、大火を免れたエリアは、城下町らしい町並みへと姿を変える。武家屋敷街の石垣石塀をはじめとする屋敷構えである。
新栄町通り(被災エリア)
新栄町通り(被災エリア)
栄町(被災エリア)
復興都市計画で生まれた通り

本町通り(被災エリア)
本町通り(被災エリア)
本町通り(被災エリア)
南寿通り商店街(被災エリア)
東町に下る坂道(被災エリア
復興都市計画によって計画された公園が二ヶ所ある
非被災エリアの町並み
非被災エリアの町並み
非被災エリアの町並み
非被災エリアの町並み
非被災エリア:福江町の町並み
街区形態から旧遊郭ではないか
参考資料 リンク
五島市

参考文献
『シマダス』㈶日本離島センター