青方
大曽
古くは遣唐使の風待ち港でもあった湾奥の良港

長崎県
上五島町
(新上五島町)
青方
大曽




交通






青方


大曽





2010.03.22
五島列島は、かつて宇久氏の支配時代、宇久島・中通島・若松島・奈留島・福江島の五島を総称したことに由来する。現在は、宇久島(小値賀島、野崎島含む)は平戸諸島とされ除かれる。本土に面した東側を表五島、西側を裏五島とよび、主集落は東側に集中しており、地塁山地が沈降してできたリアス式海岸が発達している。奈留島以北の上五島は主漁副農、以南の下五島は主農副漁である。
中通島は五島列島最北の島で、リアス式海岸に細長い半島が随所に突出した複雑な形をしている。耕地が少なく、サツマイモ、麦を栽培、放牛・養豚を行う。沿岸ではアジ・サバのあぐり網漁、ブリの定置網漁、ハマチの養殖などが行われる。江戸時代は捕鯨で栄えた。

青方は、中通島中央西岸にある上五島町(町村合併後は新上五島町)に属す。青方港は、狭長な湾奥にある天然の良港で、肥前風土記、続日本記、同後記に「合蚕田浦」「相子田浦」として遣唐使船の風待港として古くから知られていた。平安末期には、青方村・青方浦とも書かれ、代々青方氏本拠地として、鎌倉時代から約400年にわたり地頭職青方氏が統治した。宇久氏の五島統一によって福江藩となり、寛文元年(1661年)富江領となり、青方にも代官所が置かれた。
町は細長い湾の北側に形成され、有川方面と奈摩方面へ向かう二つの街道に沿って町並みが見られる。
大曽には、大正4年(1915年)の煉瓦造の天主堂が残っている。設計施工は長崎の教会建築家であり棟梁でもあった鉄川与助氏による。

青方の町並み
有川方面への街道に沿った町。
  
青方の町並み
青方の町並み
青方の町並み
奈摩方面への街道の町

青方の町並み

背後の斜面に墓地が広がっていた

大曽教会
参考資料 リンク
新上五島町

参考文献