赤尾
頭ヶ島
地元産の石をふんだんに使った集落と教会

長崎県
有川町
(新上五島町)
赤尾郷
頭ヶ島





交通






赤尾郷


頭ヶ島





2010.03.20
五島列島は、かつて宇久氏の支配時代、宇久島・中通島・若松島・奈留島・福江島の五島を総称したことに由来する。現在は、宇久島(小値賀島、野崎島含む)は平戸諸島とされ除かれる。本土に面した東側を表五島、西側を裏五島とよび、主集落は東側に集中しており、地塁山地が沈降してできたリアス式海岸が発達している。奈留島以北の上五島は主漁副農、以南の下五島は主農副漁である。
中通島は五島列島最北の島で、リアス式海岸に細長い半島が随所に突出した複雑な形をしている。耕地が少なく、サツマイモ、麦を栽培、放牛・養豚を行う。沿岸ではアジ・サバのあぐり網漁、ブリの定置網漁、ハマチの養殖などが行われる。江戸時代は捕鯨で栄えた。

赤尾郷は、中通島の中東部で北の海に面する集落である。特徴は青っぽい石が石垣や建物に多用されているところで、島の中でも一際石の割合が高い。海に面する家は軒先までの高さで石垣を積んで防風対策を施している。神社は石垣から階段・鳥居まで石づくし、家屋も玄関前の床や腰壁に石を用いている。
頭ヶ島(かしらがしま)は中通島有川町の東北端に位置し、頭ヶ島大橋でつながっている。安政6年(1859年)。中通島鯛ノ浦からの入植により島の開拓がはじまる。当時の住民はほとんどがキリシタンであり、幕末から明治初めにかけての大弾圧「五島崩れ」で一時無人化したものの、大正8年には島産の頭島石を使った頭ヶ島教会を信者自ら完成させている。頭ヶ島教会は、近代、長崎県内で活躍した教会建築家であり棟梁でもあった鉄川与助氏の設計施工で、珍しい石造教会である。


赤尾郷集落
海岸に面する敷地は軒先の高さまで石垣が積み上げられている。(左上、上上)

集落内の字神社、金毘羅宮は、石垣、階段、鳥居等に至るまで石造。(左下)

海岸線に平行な通り。(上)

平家落人伝説があることを示す塚(下)

赤尾郷の石の集落(左上、左)

民家の腰壁の石板(上)

石垣(左)と玄関前の石畳(上)

頭ヶ島教会はわが国では珍しい石造の教会(大正8年 鉄川与助氏設計施工)

頭ヶ島教会の前にあった教会施設。土台、壁、柱が石造の珍しい建物(上)
頭ヶ島教会のインテリア(右)
参考資料 リンク
新上五島町

参考文献