此田 遠山郷 遠江国への兵越峠下の山岳集落

長野県
南信濃村
八重河内
此田





交通





此田




2004.04.29
2019.05.02
遠山郷は、飯田市に属する旧上村・旧南信濃村にあたり、東を3000m級の南アルプス、西を1800m級の伊那山脈、北を1300mの地蔵峠、南を1000mの青崩峠という隔絶性の高い谷である。谷には地質上日本を外帯と内帯とに分ける中央構造線が通り、谷形は壮年期または晩壮年期、山腹は20度から40度の急斜面で氾濫原は極めて少ない。遠山の名の起こりは、周辺のどの国からも遠いという意味で、この辺りの山岳地域を呼ぶ総称だったようだ。鎌倉時代、地頭から起こっているこの地方で実権を握った豪族遠山氏は、近世に入って和田(旧南信濃村)に城を築き統治した。日本三大奇祭のひとつに数えられる遠山郷の「霜月祭」は、不運な死を遂げた遠山様の怨霊を戒めるためともいわれている。江戸時代は幕府が豊富な森林資源に目をつけ天領とし統治した。明治以降は、主に林業で栄えた。農業ついては、水田が極めて少なく畑作が中心である。畑は山畑が多く、20〜40度の斜面を耕作しており、斜面が急な割には石垣を造らないゼリ畑という等高線耕作を行っている。かつては焼畑を行っていた。
旧南信濃村は、秋葉街道塩の道の宿場町だった和田を中心に、遠山川の氾濫原と支流含めた傾斜地上の集落=天界の村が分布している。旧秋葉街道にあたる国道152号線は、和田から八重河内川・小嵐川に沿って南下し青崩峠手前で車道が分断されている。静岡県浜松市(旧水窪町)へは、隣の兵越峠で県境を越えることができるが、その手前にあるのが八重河内此田集落であり、小嵐川谷を見下ろす天界の村だ。斜面には茶畑が広がっており、遠江国に近いことを意識させられる。
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
此田集落の町並み
参考資料 リンク
飯田市

参考文献