刈谷原 古代東山道から続く北国西街道峠下の宿場町

長野県
四賀村
(松本市)
刈谷原町



交通






刈谷原




2009.08.02
 刈谷原宿は、古くは仇坂(あださか)と呼ばれた刈谷原峠を東へ下った位置で、古代中世は東山道、近世には北国西街道(善光寺道)の宿場町として栄えた交通の要衝であった。北国西街道(善光寺道)は峠を越えると岡田宿を経て松本城下に至り、一方東は会田宿を経て長野へ至る。また、刈谷原宿は上田へ通じる保福寺街道の分岐点でもある。明治時代になり国道143号線が開通すると宿場町は寂れた。
 現在の刈谷原宿は峠へ向かって一直線に上る坂道の両側に平入り民家が切れ切れに並んでいる。宿場町の面影は僅かに感じる程度であるが、峠下の趣は感じられる静かな山村であった。
仇坂(あださか)と呼ばれた刈谷原峠へ向かかう一直線の旧街道。
玄関ポーチを付けた旅籠のような民家があった。

旧北国西街道刈谷原宿の町並み

途中にゲートのようなものがあった。(左)

旧北国西街道刈谷原宿の町並み
旧北国西街道刈谷原宿の町並み
坂の下の方で道が枡形に曲がっており、そこに大きな屋敷があった。
参考資料 リンク
松本市

参考文献