宮崎 近代以降県庁所在地として急速に発展した都市

宮崎県
橘通西2,3
上野町
吾妻町




交通
JR日豊本線宮崎駅下車バスまたは徒歩





吾妻町



恵比須町





2009.12.22
宮崎市以外の九州の他の県庁所在地が、近世の城下町や港町など、もともとその地方の中心都市でありそこから発展したのに対し、宮崎市は明治16年(1883年)に県庁が置かれてから急速に発展した。初期の市街地は大淀川右岸の赤江、城ヶ崎で、鉄道開通前は河港としてにぎわった。その後、発展は速く、行政・商業の中心として国道10号線沿いの橘通りを核として中心市街地が形成された。大淀川左岸県庁付近は行政中心地区、橘通りは商業地区、西橘通りは娯楽地区、宮崎駅付近は運輸・通信地区、大淀川南部・西部の丘陵地は住宅団地、そして大淀川河畔や青島にはホテル・旅館地区となっている。宮崎市は産業として観光の占める比重が高く、大淀川畔の橘公園や日南海岸などはかつての新婚旅行のメッカであった。
近代以降に都市計画とともに開発された観光都市宮崎の遊里を歩いてみる。一つは大淀川畔のホテル旅館街の東側にあった吾妻新地。『全国遊郭案内』(昭和5年)によれば、貸座敷7軒、娼妓は90人がいたという。戦後は赤に移行して40軒ほどの店があったという。しかし、現在歩いても面影は旧妓楼の石塀の欠片くらいしかない。川沿いに大きな邸宅か料亭かがあった。
もう一つは橘通西2丁目から3丁目にかけての歓楽街。中でも恵比須町はソープランド街で、一角に市場のような形態の食料品店が集合した建物があり、またラブホテル街も隣接している。
市街地は部分的に太平洋戦争時の戦災を受けており、近代建築以外はあまり古い建物を確認できなかった。
大淀川を渡る日豊本線(上)

旧吾妻新地の通り(左)
旧吾妻新地
旅館の存在や石碑、旧妓楼の石塀の片鱗から僅かながら過去の記憶をたどることができる。(左)

大淀川に面してある大きな屋敷。料亭のようでもある。(下)
一時は「石を投げれば新婚さんに当たる」とも言われた橘公園。
橘公園に面して建ち並ぶホテル街の裏側にあった民家。釜あげうどん屋。
橘通西2丁目の恵比須町
僅かにバチになった二本の通りが合わさる所に小さな公園がある。
橘通西2丁目の恵比須町
ソープランド等のある風俗街
橘通西2丁目の恵比須町
中央通り沿いのソープランド街
恵比須町から南西方向へ延びる南恵比須通り
先にラブホ街がある。

恵比須町の一角にあった食品市場「青空foodショッピングセンター」
(上、左上、左下)





橘通西の飲食店街(上、左)
参考資料 リンク
宮崎県

参考文献
「赤線跡を歩く2」木村聡 自由国民社