戦災復興の町ならではの表と裏が見られる都市

三重県
津市
大門
丸之内





交通
JR紀勢本線津駅、近鉄名古屋線津駅下車






津大門


津丸之内





2017.05.27


三重県の県庁所在地である津は、慶長13年(1608年)藤堂高虎が伊予の今治から入封以降、城下町・港町として繁栄した。かつての町は阿漕浦に港があり、安濃津(あのうつ)と呼ばれ、日本三津(安濃津、博多、坊津)の一つとうたわれた。しかし、明応7年の地震で陥没し、さらに後年に大津波にも見舞われ、人々は旧地を捨てて西方の高台の地に移転した。それが現在の津の中心市街地である。
津の中央市街地は、JR・近鉄津駅のかなり南に位置している。蒸気機関車時代の鉄道駅が、城下町から発展形成された旧市街を避けて配置されたのが理由であろう。現在の国道23号線の東側に、津観音寺からまっすぐ南下する「だいたてアーケード街」がある。そのアーケード街と直交する立町は、城下町時代の中心的町人地であり、かつては豪商が並んでいてという。アーケード街は旧伊勢街道とも重なっている。一方、観音寺門前から東へ延びる古いアーケード街「大門商店街」がある。ここは、目抜き通りは物販系で、両側一本入ると飲食店街というもので、戦後復興の香りがする空間だ。そして、中心市街地の南にある岩田川の縁にも川にはみ出すように建てられた商店街がある。いずれも戦災復興都市計画によって生み出された大通り(国道23号線)とは対照的な景観であり、戦災復興都市に必ずといっていいほど存在する表と裏の町並みといっていいだろう。
津駅前の商業ビル。県庁所在地の中心駅とは思えないほど何もない。
城下町の東側に形成された町人地は、「pure だいたて」という商店街になっている。津観音寺の門前町であり、旧伊勢街道でもある。 
津観音寺の周りの歓楽街。左の写真の右手前の建物は映画館のようだ。
津観音寺の周りの歓楽街

大門商店街の南側の飲食店街。一体の建物になっていて、1・2階が飲食店街、3階は屋上のある居住空間あるいは事務所のようだった。
 

大門商店街の町並み
大門商店街の町並み
大門商店街の町並み
大門商店街の町並み
大門商店街の町並み

大門商店街の町並み
国道23号線(伊勢街道)は幅広の戦災復興都市計画で整備されたもので、両側にアーケードの商店街がつづく。岩田川橋の袂にあるのは津松菱という百貨店(左)
岩田川の北岸に並ぶ岩田橋商店街
参考資料 リンク
津市

参考文献