牛深 リアス式海岸の谷間に沿って延伸した水産都市

熊本県
牛深市
真浦
加世浦
船津





交通

本渡よりバス





牛深





2005.07.24
天草諸島の最南端の町、牛深は沈水性の天然の良港で水産業の中心地である。海岸は第三紀層の海食地形のリアス式海岸で山が海に迫るため、元々の平地は出っ張り引っ込みの激しい海岸線に沿った僅かな部分であった。現在は細かい谷に入り込んだ海を埋め立てているため道路は直線的に走っているが、古い集落は谷の地形なりに形成されている。背後の山は急勾配なため集落は山に上って拡大できず、僅かな平地に密集せざるを得なかったのであろう。
牛深はもともとは真浦を根拠地としていた鰹漁の小さな漁師町だった。明治中期にイワシの丸干しが考案され、牛深は一躍天草の水産業の中心都市となり、明治40年頃から急速に発展した。発展するに従って、真浦から集落が延び過密な集落空間が形成されたものと思われる。古い本通は山際の細い道で、その通りには比較的大きな家や土蔵など、旧家が見られる。一方、本通りの家々の裏手は細い路地が入り組んでおり、集落が急激に拡張したことが伺える。
船津の船溜りは石段が築かれており、所狭しと船がつながれている。石段の上にはすぐに民家が迫っており平らな余地はない。船溜りへは通り沿いの民家の2軒に一箇所設けられた路地を通ってアクセスできるようになっている。
船津の船溜り
護岸は石段になっていて潮の干満に対応している。石段の上にはすぐに民家が迫っていて、民家と民家の間の路地を抜けて表通りに出る。
船津から真浦へ向う通り
2軒に1っ箇所脇に路地があって船溜りに抜けられるようになっている。(左)

真浦の町並み
細い路地が入り組んでいる。その法則性は最初は分からなかったが、歩いているうちに山際の通りが古い本通であることが分かってくる。(下、左下)

真浦の町並み
細い路地にはもちろん車は入れない。自転車とバイクが各家の前までたどり着ける乗り物。
真浦の町並み
板壁に黒い墨のような塗料で描かれた模様が何件かに見られた。意味は不明。(左)

真浦の町並み(下)
真浦の町並み
山際の古い道は山の線に沿っていて比較的広く、面する家にも旧家が多い。(左、下、左下)
船津の町並み
船津の町並み
船津の町並み
船津は典型的に山際の本通に町並みが形成されている。
参考資料 リンク
苓北町

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州編』 太田博太郎他 第一法規