山北 東海道開通後に拠点駅として発展した鉄道の町

神奈川県
山北町
山北





交通
JR御殿場線山北駅下車



山北





2015.01.12



山北町は丹沢山地南西部を占める農林業の町。江戸時代の山北は小田原藩に属し、東海道の裏街道が通い、箱根の裏関所も川村と谷峨に置かれていた。また、元禄の大地震、宝永の富士山噴火により、一次幕府領になるほど大被害を受けた。近代になり、1889年(明治22年)に東海道線(現在の御殿場線)の開通に伴い駅が開設され、山北機関区を擁する山越えの拠点駅となり、町は鉄道の町として栄えた。
現在の御殿場線は単線であるが、東海道本線だった頃の複線の名残を残している。山北駅も線路が多く、拠点駅だったという風格を感じる。駅前は旧街道が通っていて、駅前広場に面して相対する角地に対照的に洋風看板建築が建っている。駅前から西方向へ歩いていくと左手に戦後と思われるモルタル系看板建築が軒を連ね、東へ歩いていくと切妻出桁造りの町家や蔵が見られる。看板建築が多いのは、関東大震災後の復興で看板建築の町並みが形成された国府津(御殿場線の起点)などと同じ系譜なのか。わからないが、近代から発展したという歴史を聞くとうなづける町並みだ。

駅前広場に面する角Rの看板建築(上、左上)
駅前広場に面する商店(左下)
 

下見板張の建物。床屋さんだった。 
山北西部の町並み
100m近く続くモルタル系看板建築群(戦後か)
基壇に二種類の石が積まれている蔵
山北東部の町並み
山北東部の町並み
参考資料 リンク
山北町

参考文献