金沢
寺町台
台地上に形成された対比的な二つの寺町

石川県
金沢市
寺町
野町





交通
JR北陸本線金沢駅




寺町台





2017.08.05
金沢は、戦国時代の尾山御坊(金沢御坊)を中心とした寺内町が起源である。天正8年(1580年)佐久間盛政が金沢御坊を攻略し金沢城を築いた。その後、前田利家が入城し、犀川と浅野川の間の小立野台地の先端に造られた城の周りに、150年余りに渡って繁栄する加賀藩百万石の城下町が形成された。
寺町台は、犀川の南西・旧北国街道の南東に広がる地で、慶長期から延宝期(1596〜1681年)にかけて、寺院群が概ね形成されたと考えられる。加賀藩主前田家墓所へと至る旧野田街道沿いに形成された野田寺町と、白山への参詣路である旧鶴来街道沿いに形成された泉寺町からなる範囲で、寺町台伝統的建造物群保存地区となっている。直線的な街路に沿って寺社が整然と立ち並ぶ野田寺町と境内地の通り沿いに町家が連なる寺社門前地が形成されている泉寺町という、二つの寺町が対比する特徴的な景観を有している。旧野田街道は、1921年(大正10年)の市電敷設に伴う拡幅が見られるものの、土塀の再築により、寺社の連続する景観が保たれている。
犀川越しに見た寺町台
崖上に寺院の大屋根が並んでいるのがわかる
旧蛤坂町から見た犀川対岸
丸石が綺麗に積み上げられた護岸が美しい
蛤坂の料亭「山錦楼(さんきんろう)」
野田町から現在地へ移転した大正11年(1922)に建築されたという。当初は2階建てで、昭和11年(1936)頃3階を増築したという。
蛤坂の町並み
野田寺町の町並み
野田寺町の町並み
境内地の通り側に仏具店が備わる
野田寺町の町並み
野田寺町の町並み
W坂
泉寺町の町並み
泉寺町の町並み
泉寺町の町並み
泉寺町の町並み
泉寺町の町並み
泉寺町の町並み
泉寺町の町並み

泉寺町の町並み 
参考資料 リンク
金沢市

参考文献
「日本の町並み」 山川出版社