東谷 藩政期より林業や製炭で栄えた特徴ある山間農村

石川県
加賀市
山中温泉
荒谷町、今立町、大土町、杉水町




交通




荒谷町

今立町

大土町

杉水町




2012.07.14
 加賀市は、江戸時代初頭には加賀藩に、寛永16年(1639年)から幕末までは、加賀藩支藩の大聖寺藩に属していた。大聖寺藩は領内の村々を8つの組に分け支配した。このうち、山間部の21村は「奥山方」と称されて、炭役が課されて、藩の御用炭全てを生産していた。
 明治21年の町村制施行では、奥山方に属した動橋川(いぶりばしがわ)及び杉ノ水川沿いの7村がともに東谷奥村に含められ、一方で、山中村を除く大聖寺川沿いの13村で西谷村が形成された。現在の加賀市では、旧東谷奥村の範囲を東谷地区、旧西谷村の範囲を西谷地区と呼ぶ。東谷地区および西谷地区では、明治時代に入って藩政時代の炭役や禁木制度が解かれ、木炭の需要も増し、炭焼きが盛んになった。昭和30年代に石油、ガス、電気が普及するまで製炭が経済を支えていたが、その後、西谷地区ではダム建設により上流部の9集落が姿を消した。東谷地区でも杉ノ水川沿いの3集落が災害等により失われたものの、荒谷、今立、大土、杉水の4集落では、豊かな山林や河川、旧道、古い家々が残されている。
 現在保存地区に指定されている4集落には、大きな切妻造りの屋根に煙出しを設け、赤瓦で葺いた農家が集まり特徴ある集落景観を形成している。近世には茅葺が主流であったが、赤瓦は近代化の象徴である一方、囲炉裏上部に取り付く煙出しは人々の生活の中で変わらず継承されてきた。
荒谷の町並み
動橋川と山裾の間に宅地が形成され、主軸となる県道が集落を貫く。大正期の県道整備後に建てられた主屋は県道に面した形で配置され、集落西端の平坦地に田畑が広がる。
荒谷の町並み
赤瓦は明治期以降に使われるようになった屋根材。1階屋根が壁に取り付く場所に棟のように配された瓦には、火事を起こさない願をかけた水や魚の装飾が施されている。
今立の町並み
4村の保存地区の中で伝統的な建造物が最も高い密度で残っている。
旧道を踏襲した県道や小道に沿て正面を向ける主屋が建ち並ぶ。東西の平坦地に田畑が集約されるため、中央部に宅地が集まっている。
今立の町並み
切妻妻入りの二階家が建ち並ぶ。
今立の町並み
白い煙は炭焼きの狼煙である。
大土の町並み
動橋川をさらにさかのぼった最奥にある集落。盆地状の地形に建物が点在し、他の3村と異なる景観を呈している。集落内には湧水を利用した水路が張り巡らされ要所に洗い場の石組や石橋が築かれている。(左、左下)

杉水の町並み
標高300m前後で4地区中最も高い。集落の中央を流れる杉ノ木川は度重なる洪水を起こした川で河川整備がされている。(左、上)
参考資料 リンク
加賀市

参考文献