江戸川水運の要地として栄えたまち

茨城県
境町
仲町
上町




交通

JR東北本線
古河駅よりバス

県道結城野田線




仲町、上町




2003.12.14
仲町交差点付近の町並み
  
 境は利根川と江戸川の分流点に位置する。この分流点には3県が集まっており、江戸川の西側が埼玉県、江戸川と利根川の間が千葉県、利根川の東側が茨城県である。江戸時代以降、利根川や江戸川の水運の要地としてこの分流点は重要な位置であった。江戸時代、関宿に松本氏・板倉氏と続く4〜5万石の城下町がつくられた。関宿の台町には武家屋敷町が配置されたが、町人町は江戸川対岸の西関宿と利根川対岸の境町に配置された。2本の川を跨ぐ珍しい形態の城下町は、後の県境決定の際に3県へと引き裂かれたかたちとなった。
 境は、江戸時代から明治中期にかけて鬼怒川や利根川・江戸川などを利用した水運の拠点のひとつである「境河岸」として大いに栄えた。しかし、東北本線が古河を通り、利根運河が流山で江戸川と利根川とをショートカットして開通したことによって境は衰退してしまった。また、川の恩恵を受ける立地は川の被害も受けることになった。大きいものでは明治43年8月の大水,昭和22年9月のカスリン台風などの水禍があり,甚大な被害を引き起こしたことは有名である。
 利根川の高い堤防の下から境町の商店街が始まる。利根川にほぼ直交する形で一直線に伸びる仲町・上町の商店街には、歯抜けではあるが戦前の町家が残っている。

関宿からの旧街道は利根川を渡り、利根川と平行した後、この仲町交差点で直角に曲がって一直線の商店街となる。
交差点には同じデザインの店蔵が街道を挟んで並んでいる。片方は本屋さん、一方はお茶屋さん。(左上)

仲町の町並み。この辺りが古くかつ中心だったと思われる。煉瓦蔵や洋館(前面は改修)も残っている。(左下、上)
川の土手に突き当たって町並みは終わる。
上町の町並み。
江戸近郊らしい出桁造りの町家が数軒みられる。(上、左)
看板建築が多いが、看板を取り外すと意外にも多くの古い町家が見られるのかも知れない。
上町の町家。
明治期の地形図をみると、かつての町人町は現在の商店街の半分くらい(川寄り)だったようだ。そのエリアを外れると出桁町家は少なくなる。
画像は珍しいデザインの商店。戦後と思われるが、おそらく以前は隣に伝統様式の町家が建っていて、1階と2階の軒ラインを合わせることを重視したデザインだったのではないだろうか。あるいは、中身は伝統的な町家で、改造かもしれない。
すごい柱の飛んだ建物があったので思わず載せた。
参考資料 リンク
境町


参考文献