筑波西山 筑波神社の門前に徳川家光がつくった山腹の集落

茨城県
つくば市
筑波




交通







西山




1998.07.05
2007.02.04
筑波山は江戸城の北東の方角、鬼門に当たるとして、徳川家康は城の安全鎮護を祈願するよう命令し、1602年(慶長7年)に筑波山を徳川家の祈願所と定め寺領500万石を知足院中尊寺に寄付した。筑波山信仰は徳川家康の頃からあったが、家光の時代からますます盛んになり、それまで東山にあった社殿をやや西に移して現在の筑波神社の場所を知足院中尊寺の新敷地とした。新社殿建設にあたっては多くの職人と人夫を集め町をも建設する。建設時の材木運搬用の新道に石段と石垣を築かせ、家を建て「早く移住すれば土地と家をただで与える」と御布令を出し、入居者が殺到したといわれる。このように、時の権力者によって強制的に建設された集落である西山地区は、自然発生的に形成されるものとは違って山腹の急斜面の上に立地するという珍しい集落である。山麓からの参道は西山の集落に入って直線的に筑波神社を目指すが、両側の宅地は雛壇状の形態となっている。かつては石段だった参道だが、現在は車が通れるように舗装されているものの斜度は大変なことになっている。集落の途中でY字に道が分かれていて、西側の道には大きな屋敷が建ち並んでおり美しい景観が保たれている。道を挟んで母屋と付属屋がセットになっているのも面白い。

山麓の神郷集落から山腹の筑波西山集落を見る。(上)

参道の石段は舗装され車道となっている。その斜度はとんでもなく急である。(左)

筑波神社に近づくにしたがって斜度が急勾配になり車が入れないため石段が残っている。両側の民家も古いものが残されている。(上、左上)

石段に面する木造の郵便局。(左)
神社から石段を下ったところから参道を見下げる。背景に関東平野が広がる。(上)

集落半ばのY字分岐点から分かれる西側の道。ここには比較的大きな屋敷がみられる。(左)
屋敷は、通りに面して門、塀、蔵を構え、前庭を挟んで立派な母屋を据えている。(左)

通りを挟んで母屋と付属屋がセットになっている。雛壇上下の敷地で関係がいれこになっているのも面白い。(左)
Y字分岐点から延びる西側の通りの町並み。立派な母屋が並ぶ。
地形は画像左手から右手にかけて上っている。宅地は石垣によって雛段となる。左手の屋敷は2つ上の画像の家出あり、通りを挟んだ母屋付属屋の関係はこの家と見比べるといれこの関係になる。(上)
参考資料 リンク
つくば市

参考文献