伊勢崎 織物から工業へ 近代の産業城下町

群馬県
伊勢崎市
本町1
曲輪町

本町2丁目に約100m、道路上を曳家し移築保存した旧黒羽病院。明治45年の洋風医院建築で、1階は洋風、2階は和風のインテリア。

本町一丁目交差点の町並み

旧時報鐘楼。大正4年に当時横浜で貿易商を営んでいた伊勢崎出身小林桂助が建てた。鉄筋コンクリート煉瓦造。

平和町にあった富士重工場のギザギザ屋根建築の一部。保存活用されるものと思われる。

富士重工伊勢崎工場(寿町)入り口に陳列されている、日本発フレームレスリアエンジンバス「ふじ号」
浅草を基点とする東武伊勢崎線は、日光や鬼怒川へ行く鉄道として有名だがそちらの方は支線で、本線は群馬県の伊勢崎市を終点とする。鉄道の終点になるほど近代に繁栄した都市である。

1566年由良氏がこの地域の年貢を伊勢神宮に献じたことから伊勢前(いせさき)と呼ばれるようになったという。近世は酒井氏2万石の城下町であった。
産業は、江戸時代から近代にかけて織物業で栄えた。伊勢崎太織の名で知られた伊勢崎銘仙は周辺の農家の賃織に依存して発展した。近年はウール織物に変わっている。
また、近代は市街の外周に電気・交通・通信機械製造業の工場が建ち、企業城下町としても発展した。

連続した町並みはあまり残っていないが、本町に主に近代以降の建築が見られる。本町2丁目の大通りに面して下見板張りの洋風医院建築である旧黒羽医院が残っているが、これは別の場所にあったものを約100m、しかも道路上を曳家したという建物。保存活用が決まっている。
本町界隈は古い商家がとびとびではあるが見られる。

曲輪町はかつての武家屋敷町。住宅は残っていないが屋敷割りや風情は感じられる。
また曲輪町の入り口に、旧時報鐘楼というタワーが建っている。これは、伊勢崎出身の小林桂助氏が大正4年に建てたもので、鉄筋コンクリート煉瓦造。当時の町の繁栄ぶりが伺える。

近代以降に町の外周部に建設された工場もまた年代ものである。富士重工の前身の中島飛行機時代から、太田、伊勢崎はお膝元で、平成14年まで古い煉瓦工場の建物を使っていた。残念ながら、外壁の一部を残し取り壊されてしまったが、残された煉瓦壁は保存活用されるものと思われる。

交通

東武伊勢崎線
伊勢崎駅下車


国道462号線伊勢崎本町


本町1
曲輪町
平和町
寿町
参考資料 リンク
伊勢崎市のホームページ
富士重工

参考文献