伊勢崎 織物から工業へ 近代の産業城下町

群馬県
伊勢崎市
本町1
曲輪町
緑町
三光町





交通
JR両毛線伊勢崎駅下車





伊勢崎





2016.11.26


伊勢崎は、赤城山南麓末端部に位置する江戸時代からの織物業の町である。「伊勢崎太織」の名で知られた伊勢崎銘仙は付近の農家の賃織に依存して発展、近年はウール織物に代わる。また、戦後は電気・交通・通信機械製造が発達した工業都市となった。富士重工の工場が駅の北側にあり、企業城下町ともなっている。
太平洋戦争時に駅前地区が空襲を受け焼けているが、戦災地区と非戦災地区が混在しているため、所々に戦前の建物が残る不思議な街となっている。本町に主に近代以降の建築が見られる。本町2丁目の大通りに面して下見板張りの洋風医院建築である旧黒羽医院が残っているが、これは別の場所にあったものを約100m、しかも道路上を曳家したという建物。保存活用が決まっている。
本町界隈は古い商家がとびとびではあるが見られる。曲輪町はかつての武家屋敷町。住宅は残っていないが屋敷割りや風情は感じられる。また曲輪町の入り口に、旧時報鐘楼というタワーが建っている。これは、伊勢崎出身の小林桂助氏が大正4年に建てたもので、鉄筋コンクリート煉瓦造。当時の町の繁栄ぶりが伺える。近代以降に町の外周部に建設された工場もまた年代ものである。富士重工の前身の中島飛行機時代から、太田、伊勢崎はお膝元で、平成14年まで古い煉瓦工場の建物を使っていた。残念ながら、外壁の一部を残し取り壊されてしまったが、残された煉瓦壁は保存活用されるものと思われる。
戦災都市概況図:伊勢崎
本町2丁目に約100m、道路上を曳家し移築保存した旧黒羽病院。明治45年の洋風医院建築で、1階は洋風、2階は和風のインテリア
本町一丁目交差点の町並み

平和町にあった富士重工場のギザギザ屋根建築の一部。保存活用されるものと思われる。

旧時報鐘楼。大正4年に当時横浜で貿易商を営んでいた伊勢崎出身小林桂助が建てた。鉄筋コンクリート煉瓦造
緑町の町並み
ある一角に飲食店街が突如現れた

緑町の町並み

緑町の町並み
三光町の町並み
三光町の町並み
参考資料 リンク
伊勢崎市

参考文献
国立国会図書館デジタルアーカイブ 全国主要都市戦災概況図