岐阜
問屋町
戦災復興期に形成された繊維問屋の商店街

岐阜県
岐阜市
問屋町





交通
JR東海道本線岐阜駅下車





岐阜問屋町





2017.05.28
岐阜は、室町・戦国時代を通じて斉藤道三・織田信長の居城であった金華山上の岐阜城と江戸時代の加納城という2つの城をもち、長良川の舟運で栄えた商都である。繁華街は柳ケ瀬で、古くは東側が旧市街であったが西へ西へと街が延びていった。
第二次世界大戦時の空襲によって、中心市街地のほとんどが焼け野原になった。ところが終戦直後に大問屋街が出現した。北満州からの引揚者たちが中心となってバラック小屋を造り、古着や軍服などの衣料品を集めて売ったのが始まりで、当時「ハルピン街」と呼ばれた。昭和23年頃からは、古着だけではなく、布を一宮や羽島から仕入れ、新しい服を作って売るという、岐阜の既製服産業(アパレル産業)へとつながっていく。昭和24年ころから、岐阜の既製服は全国的に知られるようになり、産業の発展と共に問屋街が広がり形成された。
現在の問屋街は、戦後から高度成長期辺りまでの建物が並んでアーケード街を作っている。その後の地場での産業の衰退が町並みに表れているといっていいが、戦後の町並みとしては大変興味深いものである。しかし、駅前再開発の波にのまれつつあり、集合住宅への建て替えがはじまっている。
岐阜駅北口の駅前広場は現代的で美しい

駅前広場をペデストリアンデッキで渡ると昭和なビル群が建っている。その間に問屋街の入り口が口をあけている(上)

中問屋町の町並み(左下)
中問屋町の町並み
中問屋町の町並み
中問屋町の町並み

各問屋街の入り口が並ぶ通り
各問屋街の入り口が並ぶ通り
問屋街中央通りの町並み
問屋街中央通りの町並み
問屋街一丁目の西側ゲート
アーケードの両側の建物規模と対称形であることが判る。
問屋街中央通の西側ゲート
アーケードを挟んでRC5階建てが並ぶ。この画像の右側にも以前は、同じように建物とアーケードがあった。
再開発で高層マンションに建て替わってしまったため、中央通り商店街の建物の裏側が表になってしまった。これはこれで大変珍しい風景である。
西問屋街の飲食店
参考資料 リンク
岐阜市

参考文献