門司栄町 戦災復興の門司 商店街と飲食店街とマーケット

福岡県
北九州市
門司区
栄町
老松町
東門司





交通
JR鹿児島本線門司港駅下車





栄町


門司中央市場


東門司





2016.12.23


門司は、中世から明治初年にかけては関門海峡に面する一漁村であったが、明治21年以降、筑豊炭田からの石炭輸送基地、第二次世界大戦前は中国・朝鮮との貿易港として発展し、神戸・横浜・大阪に次ぐ日本第四位の貿易港となった。戦後は大陸貿易が縮小され石炭も減ったため港として低迷、さらに関門大橋や関門トンネルの開通によって本州との交通結節点としての役割も無くなってしまった。そんな門司港にはたくさんの近代建築が残されており、近年「門司港レトロ」という港の修景整備が進み、すっかり観光地として生まれ変わった。
そのような門司の町であるが、第二次世界大戦時に大規模な空襲を受けた街の一つでもある。ここでは、戦災エリアに見られる復興期の町並みを紹介する。復興都市の定番であるアーケード街と裏町の飲食店街という典型的な構成が見られるほか、闇市から発展したと思われるマーケットが今でも残っている。夜の飲食店街は、商店街と遊郭との間に位置しており、クルマの入れない路地にクラブやスナックが密集するようなスポットもあった。
戦災都市概況図:門司
目抜きのアーケード商店街である栄町銀天街
銀天街とは小倉が発祥だそうで、屋根のかかった銀座商店街という意味だろう。
栄町銀天街の町並み
港栄小路
飲食店が入った長屋形式の建物が向かい合った横丁

有楽街
飲食店が密集し路地に屋根がかかった横丁(上、左上)
銀天街の一本東側の飲食店街の通り
飲食店街の通りにあるビル内横丁
老松町の中央市場
老松町の中央市場
見るからに闇市から発展した佇まい

老松町の中央市場の町並み
老松町の中央市場の古写真
東門司のプラザ祇園商店街
戦前の写真を見ると港から東門司に向かって、港町の街区に対して斜めに突っ切る道があったが、その延長上にある。現在は老松公園で分断されている。
東門司のプラザ祇園商店街
戦前の写真を見ると港から東門司に向かって、港町の街区に対して斜めに突っ切る道があったが、その延長上にある。現在は老松公園で分断されている。
参考資料 リンク
北九州市

参考文献
国立国会図書館デジタルアーカイブ 全国主要都市戦災概況図

門司港レトロ.net