流山 江戸川の水運で栄えた在郷町

千葉県
流山市
流山1〜7




交通

総武流山電鉄流山駅下車

県道松戸野田線





流山




2003.12.14
流山街道の町並み
 
流山にある赤城神社の境内に海抜15mほどの小山があり、山頂には赤城神社が祭られている。伝説によれば、昔々洪水によって上州赤城山の崩れた土塊が流れてきてできたのがこの小山で、そこから「流山」の地名がついたという。また流山は、新撰組が会津へ出陣した際、流山で近藤勇が官軍に捕まった場所としても知られている。
江戸幕府は、江戸の町を洪水から守るため、利根川の本流を関宿から銚子へ流した。水量の調節が可能になった江戸川は、江戸への物資供給路として水運が発達し、明治になって利根川と江戸川を結ぶ利根運河が流山の北に建設された。北海道や東北地方の産物は銚子港から利根川を上り、利根運河を通って流山から江戸川を下り江戸に運ばれるようになった。この運河によって、輸送の日程は3日短縮できるほどの効果があったといわれている。流山は近世近代を通じて江戸川の水運の河岸集落として栄えた。
流山の古い町並みは旧流山街道沿いに見られ、広小路の交差点付近に出桁造りの町家が並ぶ景観が残っている。また、旧街道の南東の一角に小林一茶ゆかりの建物が一茶双樹記念館として復元公開されている。

旧流山街道に建つ出桁造りの町家。戸袋は装飾の施された銅板貼り。
南下してきた旧流山街道は広小路の交差点で西に折れすぐカーブして再び南下する。そのカーブに面して出桁造り塗籠め造りの町家が並んでいる。
塗籠め造りの呉服新川屋。
流山2丁目あたりの街道筋の町家
小林一茶ゆかりの民家「一茶双樹記念館」
当時一茶は、俳句を教えるアルバイトで醸造業を営んでいた秋元三左衛門のところを頻繁に訪れていた。この民家は秋元家の建物を復元したもの。
参考資料 リンク
流山市

流山玉手箱

参考文献