船橋 門前町・宿場町・漁村港町 3つの顔をもつ町並み

千葉県
船橋市
本町2,3,4
宮本町6



交通

JR総武線船橋駅下車
京成電鉄京成船橋駅、大神宮下駅下車

国道14号線




本町3,4


船橋新地
(本町2)


宮本町6




2003.12.11

成田街道 宮本町の町並み
  
船橋は東京近郊のベッドタウンを後背にもつ都市である。東京と千葉の中間に位置し、通勤も通学も買い物も近在の住人のほとんどが東京を目指すので、千葉県でありながら千葉とは無縁の場所でもある。こういう町は千葉県には多い。そんな町だからマンション開発などが進んでいてあまり面白い街ではないだろうと高を括っていたらこれが結構多彩な街だった。
船橋は近世以降、船橋大神宮の門前町、成田街道と千葉街道の宿場町、漁村の港町という3つの顔を持ちながら発展した街である。明治前期の地形図を見ると、市川から一直線に東進してきた千葉街道、行徳からきた成田街道は船橋宿の西で合流し東の船橋大神宮にぶち当たる。大神宮前で右に折れると千葉街道で千葉へ、左に折れると成田街道で佐倉へ向かう。大神宮の門前町をベースにした宿場町は、JR舟橋駅や京成船橋駅をまっすぐ南下したあたりから大神宮までと、大神宮から成田街道沿いに東へ700mほど行ったあたりまでが主要部分であったと思われる。さすがに駅から南下したあたりはビルが建ち並んでいるものの、その谷間に出桁造りの町家が数件残っている。町並みとして連続するのは、大神宮を過ぎたあとの成田街道沿いの宮本町付近にある。
船橋宿は成田詣でたいそう賑い飯盛旅籠が置かれていた。昭和初期に散在していた遊郭を集めて宿場の西のはずれに集めて船橋新地がつくられた。戦後も赤線として復興し周囲には青線的なカフェー街もあったという。旧千葉街道の通りから南へ、現在の繁華街とは反対の方向へ入って行くと街路が閉じた遊郭っぽい雰囲気になってくる。しかし目立った建物はない。京葉道路に近い南の通りに抜けるとスナックや飲み屋が並んでおり、かつてのにおいがしてくる。その通りを西へ歩いていくと駐車場の向こうにいきなりドーンと大きな姑楼が現れる。住宅地の中に突然現れる姿は、東京芝浦の労働会館でも体験したことがあるが、すごい迫力である。
船橋は漁村としての顔も持っている。宿場町の南で、海老川の西側一帯がかつての漁村である。宿場町がメインと思いきや、歩いてみると漁村をベースにしたこの町の中にも古い家が多数残っている。
旧街道のビルの谷間に残る町家
「廣瀬直船堂」
廣瀬直船堂の正面にもビルの谷間に町家が残っている。
宿場町の南側には漁村の港町をベースにしたエリアがあり、古い町並みが見られる。
港町エリアには東京近郊の千葉県に見られる独特なスタイルの住宅が目立った。軒の出が大きく装飾が派手である。
宿場西端のはずれに形成された船橋新地。新地内にのこる姑楼建築はここだけである。その存在感はすごい迫力!
新地の南の通りはカフェー調の建築が見られる寂れたスナック街となっている。
参考資料 リンク
船橋市


参考文献
『赤線跡を歩く』 木村聡 自由国民社