銚子 イワシと醤油で栄えた利根川水運中継地のまち

千葉県
佐倉市
本町、川口町、橋本町
新生町1
田中町
和田町




交通

JR総武本線
銚子駅下車

国道356号線




本町、川口町、橋本町


新生町


田中町
和田町



松岸町




2002.12.07
2009.10.03
 日本地図を広げると、関東地方で太平洋に突き出した酒器の「ちょうし」のような形をしている誰でも知ってる場所がある。大河利根川の河口に形成された港町、銚子である。市街地の真ん中にある飯沼観音の名前で親しまれている円福寺は、神亀5年(728)に漁夫が海中から引き揚げた十一面観音像を安置したのが始まりといわれており、門前町が形成されたのが、現在の銚子のまちの起源とされている。
 江戸時代になると江戸を中心に江戸周辺地域が開拓されるが、房総半島は関西方面からの移住が目立つようになる。元和2年(1616)に摂津から田中玄蕃が、正保2年(1645)に紀州から浜口儀兵衛が移り、銚子に醤油の醸造を広めたとされ、元禄期前後に銚子の醤油産業が発展した。
 利根川は、江戸を洪水から守るため寛永年間(1624〜1643)現在の流路に変えられたが、同時に江戸〜銚子間の利根水運が開かれた。東北地方の米などの物資は房総半島をぐるっとまわって江戸に運ぶより、銚子から利根川水運を使った方が最短距離で行けるため、銚子は江戸への物流の重要な中継港として発展した。こうした利根水運の隆盛を背景に、漁業と醤油醸造が飛躍的に伸びた。、江戸末期にはイワシの豊漁が続き、有名な「大漁節」が生まれた。
 銚子の市街は明治初期頃には、利根川に面した飯沼村(本銚子駅北側付近)、新生村(銚子駅北側付近)、荒野村(銚子駅北西側付近)の細長い町が形成されていた。それぞれの町には港や醤油工場が隣接しており、それらとの関係で市街地が形成されたことがわかる
 銚子を訪れたとき(平成15年12月)どこに古い町並みが残っているのか探しまわったが、もっとも市街地としてのエリアが大きいかつての本銚子町の中の目抜き通り周辺(本町、川口町、橋本町)に何軒かの戦前町家が見られた。新生町の銚子銀座はちょっと前までの中心商店街。。銚子の町は、漁業や醤油醸造業で今でも繁栄しているからか、電柱の地中化が進んだすっきりした町である。
銚子銀座
電柱が地中化されたすっきりした町並み。戦後の町並みといったところ。
角アール(外壁出墨が丸くなっている)の変わった洋風町家。窓や軒のライン、いた壁の曲線など、なかなか洒落ている。
本銚子エリアに入るとだんだん古い町家が視界に入ってくる。
川口町1丁目の町家。
川口町1丁目の町家。関東のまちらしく江戸東京調の出桁造りだが、2面が出桁・出梁となっている。軒や屋根を飾るのが伝統的な町家のデザイン志向。
橋本町1丁目の町家。
目抜き通りには面していない。
橋本町1丁目の町家。
前面の朱色塗りと黒壁が印象的であった。海に近いため黒板壁なのか。

和田町のスナック街(上、右)
中央に公園があり整然と町割がなされた旧遊里。

JR銚子駅の西一駅隣の松岸にもかつて遊郭があった。(左、上)
参考資料 リンク
銚子市
銚子観光

参考文献