尾去沢 明治より三菱により経営された銅山と鉱山町

秋田県
鹿角市
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交通







鉱山施設跡


鉱山町





2016.08.20
尾去沢地域には、数々の金山や銅山があった。和銅元年(708年)に最初の銅山が発見されて以来、それぞれの鉱山は開発年代も異なり相互の結びつきもなく、幕末まで別々の鉱山とされていた。明治に岩崎家(三菱)に鉱業権が渡り、以降、昭和53年(1978年)の閉山までの約90年間、三菱の経営により銅山として最大のピークを迎えた。終戦後も産業復興とともに資源少国における貴重な存在として高度成長期を支えた。しかし、海外での大規模な鉱山開発と急激な円高におり銅価格が低迷したことや、尾去沢高山の銅鉱石が枯渇したことにより、昭和53年に1270年の歴史に幕を閉じた。
現在の尾去沢鉱山の中沢地区では、史跡に指定され通洞道や産業遺産を見学することができる。また鉱山の歴史を語る鹿角市鉱山歴史館がある。
一方、鉱山下の軽井沢地区には、社宅をはじめ購買施設や医療施設、寺院など鉱山で働く人々の生活の場が形成されており、社宅街に面影を残している。
選鉱場跡・製錬場跡
製錬場跡
製錬場跡
製錬場跡
製錬場跡
分析所
職員社宅街
職員社宅街
職員社宅街
職員社宅街
鉱員社宅
詰所
詰所
(現在はバス待合所として活用)
民間商店
参考資料 リンク
鹿角市

参考文献