院内 日本三大銀山のひとつ 巨大鉱山町の跡 

秋田県
雄勝町
上院内
下院内



交通

JR奥羽本線院内駅下車徒歩





院内



旧院内鉱山




2005.05.22
院内鉱山は、秋田山形県境付近にある烏帽子山の北麓にあり近世、大森、生野と並ぶ銀山であった。1607年に発見され、1817年に秋田藩直営、1875年(明治8年)に官営となった。1886年には民間の古河鉱業に払い下げられ1895年頃最盛期を迎える。1921年(大正10年)に休山し、1953年(昭和28年)に閉山となった。最盛期の人口はなんと2万人といわれており、鉱山前に大集落が存在した。
現在、かつての院内大集落の後を訪れると金山神社以外の建物は全くない。そこに大集落があったことが想像できないほどうっそうと木々が茂っている。その中には異人館あとの石垣、金山神社の鳥居・石段とお堂、西光寺跡、大きな墓地、橋などの遺構が残っている。まさに「兵どもの夢の跡」の世界なのである。
鉱山前の旧院内の町から山を降りてくると現在の上院内、下院内の町がある。旧鉱山前の集落から移動した方々も多いのではないだろうか。
旧院内鉱山前には大集落があった。現在訪れてみると神社仏閣の跡、異人館の跡などが遺構として残っているだけである。ただ、墓地はしっかり残っていてその規模が当時の町の大きさを物語っていた。
旧院内鉱山町の番所近くにあった異人館跡。
明治9年に官営となった後、ドイツ人技師を招いて最新の機械化を図ろうとした。そのお雇い外国人のための住宅がここにあった。古河鉱業に払い下げられた後は、鉱山所長の社宅として使用された。

鉱山町が無くなったあとでも金山神社の参道はそのまま残っていた。しかし、誰も訪れることの無い石段はかなり傷んでいた。(上、左上)

正楽寺跡(左下)
下院内の町並み
大きな屋敷が2軒ばかりあった。
下院内の町並み
下院内の町並み
下院内の町並み
上院内の町並み
参考資料 リンク
湯沢市

参考文献