長州橙紀行

島根県の行きたい集落を訪れるため、攻略する計画を何通り考えただろうか。全てをかなえようとすると、どうしても3日はかかってしまう。その理由は島根県が東西に長く、津和野と益田がネックとなる。夏休み明けのこの時期に平日休暇を前提に3日間の計画に踏み切るのは大変リスキーである。すいぶん悩んだが、金より実現のリスクを考慮し、2回に分けて訪れることにした。しかし、津和野と益田だけでは勿体無いので山口県の未踏の町並みを組み合わせることにした。
土曜日の朝、1番の飛行機で宇部山口空港に降り立った。レンタカーのデミオで空港から有料道路を経由し国道9号線を上る。
 
津和野(島根県津和野町)
津和野ほど有名な町並みにまだ訪れていなかったとは集落探訪家として恥ずかしいことである。10年前に通過したことはあるのだが、どうせ観光客でごった返しているだろうとやり過ごした。その時の判断ミスによって、今回わざわざ2回に分けて島根県を攻めなければならない。
町並みには団体の観光客が列を成していた。そんな状態では当然公開されている文化財には入る気がしない。それでも町並みの端っこや裏手を歩くと観光客は少ない。なんだ、津和野って有名なだけあって結構いい町並みじゃないか!
飯浦(島根県益田市)
益田も今回の島根県攻めを2回に分けさせた原因の町の一つである。私の会社の友人がこの町の出身とあって、是非歩いてやろうと思っていた。ところが駅前周辺は再開発が進んでいて何もないし、中心部からなはれてもいい町並みが見つからない。さんざん探したが諦めることにした。友には悪いがリストから外さざるを得ない。
飯浦は「いらかぐみ」孫右衛門さんから紹介された町並みである。かつては津和野藩の藩港であったというから単なる漁村ではない。屋号を掲げた町家建ての民家が何軒か見られた。
江崎(山口県萩市)
江崎は飯浦から程近いが山口県となる。日本海に面した「おぼれ谷」という地形を利用し、天然の良港が生まれた。つまり適度な船溜の回りにU字型に集落が帯状に形成されている。水際の眺めは非常に美しいが、集落を端から端まで歩くとなると距離があって大変である。真ん中あたりに車を停めて全てを歩いた。町並みは橙色の瓦が特徴で、中央あたりに比較的大きな古い民家が残っている。その建物はやっぱり酒屋であった。
宇田(山口県阿武町)
国道191号線を西へ走る。ちょうど10年前の1996年9月にも萩を目指してこの道を走っていた。国道からそれた旧道沿いによさそうな町並みがあると道路地図に書き込みがある。そこは宇田郷という町。今回歩いてみることにした。
旧道の分岐点に車を停めると10年前の記憶が蘇る。立派な主屋と蔵を配した造酒屋があって、そこから町並みが始まっている。町並みを抜けてもう一方の端に辿りつくとそこにも造酒屋があった。店のおばさんが出てきたので話を聞いてみた。宇田のかつての中心はこのあたりだったという。その酒屋の脇の路地を抜けると海に出た。防波堤に石垣を積んだ船溜があった。そこが古い港だったのかもしれない。
奈古(山口県阿武町)
奈古は宇田郷と同じ阿武町の中心市街である。江戸時代は西廻船の寄港地でもあったようで、益田と萩を結ぶ石州街道が町に中を通っている。旧石州街道に沿って切妻平入の商家が並んでいて歴史的な町並みを形成している。旧街道は南で郷川にぶつかり西に一旦折れてからもう一度南に曲がって川を渡っていたようで、その川沿いにも古い町家が残っていた。一方、通りから海岸にかけては整然とした街区で細い何本もの路地が港に通じている。その路地を歩いてみると車の入れない漁村らしい集落空間になっていた。
越ヶ浜(山口県萩市)
越ヶ浜は萩市街地の北西にあたる、旅館やホテルが集まっている海岸線のエリアに近い。萩港の片側を囲むように笠山と陸繋砂州が形成されていて風光明媚な海岸の景観をつくっている。。越ヶ浜の集落はその砂州上にある。砂州の漁村は一般に両側に港があって、砂州の背骨にあたる通りに主だった建物が集まっている場合が多い。越ヶ浜もその例外ではないが、背骨の通りに古い町並みがない。背骨の通りは笠山の麓にある明神池の際で終り、別の通りと直交している。その別の通りというのが2つの港を結んでいて、ここに虫籠窓をうがった漆喰平入系の古い町並みが形成されていた。こうして名も知れぬ町並みの核心的な部分を見つけるのは楽しいものである。
萩浜崎(山口県萩市)
萩は1996年に一箇所を除いて隅々を歩いている。そのとき歩かなかったのが浜崎です。あの頃は全く無名だった萩の港町が今や重伝建地区になっている。
越ヶ浜近くのホテルを早朝出た。9月末だというのに肌寒い。御船倉近くに車を停めてまずは港まで歩き、町並みのある通りを南下する。江戸時代の西廻り航路の発展によって支えられた廻船業や漁業によって賑わった港町には、江戸時代から昭和初期にかけて建てられた町家が数多く残されている。一見平坦な萩の町だけれど微妙に起伏がある。その尾根上に町に古い町並みが形成されていることが歩くことによって理解できた。
萩呉服町(山口県萩市)
呉服町は萩城下の武家屋敷町の中に商家が並ぶ町並みである。豪商であった菊屋家住宅の側面をもう一度見たくて訪れた。白壁にポツ窓がうがたれた美しいファサードはやや綺麗になった気がする。腰の海鼠壁とあいまって彼方まで続く印象が素晴らしい。
背後の武家屋敷町をぐるっと廻ってみると、歴史上の人物の旧宅があり、あたらめて萩という町のすごさを感じる。このまま堀内や平安古を廻りたいノリであったが、観光客が現れ始めたので逃げるように萩の町を後にした。
(山口県長門市)
長門市は10年前に通り過ぎただけである。その後、いらかぐみの面々が仙崎や青海島の通などを紹介しているので是非とも訪れたいと思っていた。まずは青海島へ渡り先端の通集落から歩く。
通は砂州上の集落らしく両側に港を持ち、海岸線にそってとても長い。一番端っこに車を停めてもう一方の端まで歩く。途中、お寺の境内の中に鯨塚があり、捕鯨の集落であったことを実感する。集落の最奥まで行ったところに漆喰壁の古そうな民家を発見。重要文化財早川家とサインが出ていた。写真を撮っているとおじさんから「中見るか?」と声をかけられたので内部を拝見させてもらった。この家は捕鯨の網頭を勤めた家だという。この家のあるところが通1区で車を停めた場所が13区であった。
仙崎(山口県長門市)
橋を渡って仙崎に戻る。仙崎も大きな砂州上の町である。背骨の部分にあたる南北の通りが目抜き通りである。童謡詩人「金子みすず」の出身地ということで、記念館があり、町のあちこちに童謡に出てきた店などの解説がなされている。「金子みすず」で一生懸命町おこしをしているようだ。町並みは入母屋妻入りの町家が多く並ぶもので、周辺の町と比較するとやや異質である。九州福岡県に通じる印象であった。
港に木造の施設があったが現在は使われていないようだった。木の軸組みが面白い建物だった。
明木(山口県萩市)
予定に対して順調に進んでいるため萩市明木の町並みに立ち寄ることにした。萩往還と赤間関往還とが分岐する宿場町である。特徴は鮮やかな橙色の屋根の連続。平入りの町家に下見板貼りの洋館も見られたが何れも橙色の屋根。
山口竪小路(山口県山口市)
山口市街では近代建築など見たいものはいろいろあるが、今回は竪小路の商家町だけ歩くことにする。立派な商家が残ってはいるものの連続して町並みを形成しているほどではない。しかし、裏手の川沿いの町並みなどは古い建物があるわけではないのに綺麗に整備がなされていた。
阿知須(山口県山口市)
山口市から宇部空港へ移動する途中に阿知須という町がある。飛行機の復路は最終便が取れなかったので一本早いものにしている。時間に余裕が無かったら諦めるつもりだったが、なんとか時間に余裕が出来たので歩くことができる。井関川に沿いに車を停めて町に入っていく。白壁の間口のでかい商家が現れた。この町はかつてかなり繁栄したのであろう。左に折れると海鼠壁の町家の連続する町並みがあり素晴らしい一角である。保存工事がなされていたが、大切にしてほしい空間だ。
元の道に戻ったとき海鼠壁の家の前でカマを持って立っているおっさんがいる。私を不審者と勘違いしたのであろうか、明らかに見張っている体勢である。その家を撮影したいのだけれど、カマを振りかぶり襲われそうだったので諦めた。なんとも後味の悪い旅の終わり方である。
今回殆どが山口県の集落町並みだったけれど、島根県の取り扱いに困ったエリアをつぶすことが出来た。2週間後に島根県の詰めに入る。