但馬T・丹波U (2004.03.20)

先月の「丹波T」に引き続き中国山地の東エリアを旅する。
町並みWeb集団「いらかぐみ」は西日本に拠点を構える人が多いので、呼びかけてみたら孫右衛門さん・西山遊野さんが同行することとなった。足は京都の西山さんが車を出してくださることとなった。

旅の前日、大阪の船場地区を歩いた。船場は大阪の業務商業地区の中枢だが、堀による火除け効果が働いたためか、広範囲にわたって戦災から免れた。したがって、現代のオフィスビルの狭間に近代建築や蔵造りの商家がものの見事に残っている。東京の日本橋界隈も戦災から免れており新旧入り乱れた旧市街の町並みが見られるが、日本橋が旧:新=1:9に対して船場は旧:新=3:7くらいの印象である。町の中を歩くと歴史的な建築が結構な頻度と規模で登場するため、辻辻で足を止めてシャッターを切る。特に圧巻なのが堺筋で、重厚な黒漆喰の蔵造りの商家やコテコテ装飾のテラコッタを身にまとった近代建築があり、見る目を楽しませてくれる。バブル期には都心周辺部で再開発が流行したが都心部の船場ではあまり建設されていなかったようで、バブル後の経済の冷え込みもあいまって、船場の歴史的建築物は偶然にも結構残っているように思う。中之島では中央公会堂が保存修復されたが、北浜の大阪証券取引所も部分保存工事が進んでおり、歴史的景観が守られている。昨今では都心居住マンション開発が盛んなため、船場は歴史的建築物の積極的な保存への取り組みが求められる時期にきている。

阿波座のホテルでチェックアウトを済ませ外に出ると綺麗なミニバンが停まっていた。先日は西山さんを私の車に乗せて北関東の町を巡ったが、今回は西山さんの車に乗せてもらって兵庫県内陸部の町を巡る。
中国自動車道を西へ、福崎ICで降り、集合時間にちょっと遅れて播但線福崎駅に着くと広島からやってきた孫右衛門さんが待っていた。

さて、本日は福崎からまっすぐ北上しどこまでの町を巡れるか。気持ちは急ぐが、福崎の古い町並みにしばし足止めを食らう。

福崎町商工協同組合の旧建物              
年輪を感じる下見板に思わず魅かれ車を降りる

生野は近世以来、銀山で栄えた町。町並みは近代以降の産業町の姿であり、三菱マテリアルの企業城下町でもある。鉱山の前に形成された町は口銀谷と奥銀谷であるが、町の中心は口銀谷であり商家や鉱山の社宅、旅館、遊郭、ゲストハウスなどがある。一方、奥銀谷は鉱山に近接する労働者の町である。
播但道を降りてJR播但線の踏み切りを渡ると旧市街の商人町。早速、古い町並みが現れ三人の目が光る。
生野町は町並みによる村おこしに非常に力を入れている町。そこらに「まちなみたんてい団」の「語りべ」がいて親切に町を案内してくれる。われわれ三人も覗き込んだ洋館医院から出没した「語りべ」の方に町中を隈なく案内いただいた。この町では純粋に町並について解説いただけるので大変参考になる。この場を借りてお礼申し上げたい。

生野から北上し、和田山町の竹田に向かう。竹田は高いところに城壁(建物は現存しない)を構える城下町。桝形を除いて一直線の町は、本卯建の混ざる町並みである。但馬地方は本卯建が多く見られるエリアであるが、同様に多く見られる岐阜県や長野県のものとは少々趣を異にする。火災の際の隣への延焼防止が本卯建の機能であり、漆喰壁(側面は板貼りもある)の上に瓦を葺く形態が基本である。美濃地方の場合、本来の機能から発展して装飾的意図が加わっているのに対して(たとえば美濃中津川)、但馬地方のそれは短部をスパッと切り落としただけの機能に徹した実にシンプルなものである。

竹田では雨に降られた。春先の但馬は日差しが無いと結構寒い。しかし、和田山までくると天気が回復してきた。和田山には本卯建の町並みがあるというので、1/25000の地形図を駆使し旧市街を訪ねる。竹田ではちらほらであった本卯建だが、和田山では結構見られる。特に旧道と新道が斜めに交差する場所にある本卯建の商家はプロポーションが絶妙で、背景の山の緑とあいまってとても美しい民家である。

ここから奥の但馬地方は次回のお楽しみにして丹波を経由して大阪に戻っていく。
和田山のすぐ東にある山東町矢名瀬を訪れた。矢名瀬は街道沿いの在郷町で、中心部にとても立派な造りの町並みが見られる。近代は工場の門前町としても発展したようで、遊郭だった町並みも残っていた。

国道483号線を青垣町へ向かう。途中の遠阪峠越えで、しばらく人家の無い道を進む。運転を西山さんにお任せして私はうとうとしてしまった。峠を越えてはっと目が覚めるとそこは丹波の国、佐治の町であった。佐治の町はいままで見てきた但馬の町並みとは全然違う。平入本卯建から切妻妻入の町並みになった。高い山脈の峠を越えて、民家の形態ががらっと変わるのはわかるが、あの程度の峠でここまで変わるものだろうか。しかも同じ兵庫県である。

もう日没近くになってきたが、せっかくなので欲張ってもう一箇所。氷上町成松である。旧市街のどこに町並みがあるかと地図を見ながら探索していったら、小さな山裾の町の端っこが旧街道でそこに古い町並みはあった。丹波の町らしく、切妻妻入の町家が並ぶ町並みを見ることができた。

もう日が暮れた。急いで大阪方面へ戻る。高速道路の渋滞を避け、3人は三田で解散した。但馬・丹波といままで未開の地を有意義に歩くことができた。西山さん、運転お疲れ様でした。孫右衛門さん、広島までお気をつけて。私は、新大阪から最終の新幹線で東京へ戻った。

船場
口銀谷
竹田
和田山
矢名瀬
佐治
成松