大阪U(2003.03.16)  池田、富田、芥川、枚方、守口

大阪攻め2日目は、西国街道、京街道の町並みを訪ねることとした。
阪急梅田駅から阪急宝塚線の急行列車に乗る。発車してびっくりしたが、宝塚線の列車のほかに、神戸線、京都線の列車がまったく同時刻に梅田駅を発車するのだ。3本の列車は並走しながら淀川の橋を渡る。
池田に向かう途中、豊中近辺の町並みを車窓から見下ろす。やたら松林を庭にしつらえたお屋敷が多く目についた。電車は池田駅に到着した。


池田
池田市は、城址の西側に古い町並みが残っているのだが、間違えて城址の南東一帯を歩いてしまった。車であればあらかじめ流して残っているエリアを見定めておいてから車を降りて歩くので間違えることは無いが、電車の場合良くやってしまう過ちである。とはいっても前もって調べてから行けばいいものを、ものぐさに行き当たりばったりの性格が災いの元なのだ。しかし、そのおかげで珍しい民家を発見した。池田は日本ではじめて一戸建て分譲住宅が売られた場所という。それらしき住宅、また珍しい共同住宅にめぐりあうことが出来た。
だが、いずれにしてももう一回来なくてはならない町になってしまった。

丘の縁を東西に走る通りに面した町並み。この通りが町並みのメインと勘違いしてしまった。写真の民家は、格子が奈良っぽく太い。

同じ形の古い住宅が建ち並んでいる。もしや、ここが「日本ではじめて売られた一戸建て分譲住宅」なのか?

丘の縁に、町を見下ろすように建てられたお屋敷住宅。

珍しい戦前の長屋。伝統的武家住宅の様式を取り入れたテラスハウスとでも言おうか。一戸一戸に塀、門、前庭、庭(反対側)が備わっている。


富田
高槻市富田は、醸造業で栄えた町並み。
2軒の造り酒屋と真中に大きなお寺を取り囲むように、集落が形成されている。


一軒目の造り酒屋。

つし2階のプロポーション、黒漆喰と白い虫子窓、茶色の板壁のコントラストが美しい民家。

2軒目の造り酒屋。屋根勾配と高さが異なる酒蔵のギザギザがなんとも印象的であった。

バチになった造り酒屋の店前の広場。右手の町家は非常に桁行方向が長い。美しい街角である。


芥川
阪急高槻市駅をおり、町並みがあるというJR高槻駅北西部へ向かう。JR駅と阪急駅との間には大きな敷地を持つ住宅が何軒か建っている。なかには、洋館っぽいデザインのものもあった。
JRを越えしばらくすると、上宮神社の参道階段が目に入りそっちのほうに歩いていってしまった。さらに寺や神社の案内標識につられ歩いていっても一向に町並みらしきものが現れない。わからぬまま駅近くまで戻ったところで古い町並みエリアをみつけた。歩いていくと一里塚あり、間違い無く旧西国街道であることを確信した。池田の二の舞になるところであった。


阪急とJRの駅間に広がるお屋敷町。

旧西国街道芥川宿の町並み                     

1里塚西の町並み。

路地を抜けると、蔵を改造した少林寺拳法の道場があった。

川の氾濫に備えた石垣。中間には防水板を差し込めるようになっている。

関西のわりに黒漆喰のつし二階が多い。


枚方
JR高槻駅から枚方駅行きのバスに乗る。川幅の広い淀川を渡り、堤防を左折してしばらく行くと枚方の駅についた。枚方は鍵屋という元船宿があるので、それを目指せば間違えることはない。駅前に大きなショッピングセンターが立ちはだかり間のプロムナードを抜けると旧街道につながる。旧街道の一部がショッピングセンターの中のプロムナードになっていた。
町並みは長く、くねくねといって鉤型に折れたりして延々と続く。途中に何ヶ所か良い町並みが見られる。宿場の終点に最も町並みの残っている一角があり、船宿鍵屋がある。鍵屋は近年枚方市が買い取って資料館とした建物で、それまでは料亭旅館を営んでいたそうだ。船から鉄道へ交通手段が変わり、船宿は料亭旅館へと建て替えられた。資料館ではかつての繁栄ぶりがわかる。これだけ栄えたのであれば遊郭があったであろうと、資料館の方に聞いてみるとやはりあった。さらに大阪方面に旧道を進むとかつての遊郭建築が建ち並んでいた。

駅と鍵屋の中間辺り。間口の大きい立派な町家が並ぶ。

左の町並みを京都方向からみる。屋根にむくりがついているのがわかる。

鉤型付近の町家。

淀川の氾濫に備えて土台を上げている。この近辺の農家も同様の対策がされている(「民家巡礼西日本編」)

鍵屋付近の町並み。明かりのともっている建物が鍵屋。

旧宿場よりさらに大阪方向に行くと、かつての遊郭(旧枚方新地)があった。2階の表情が遊郭建築らしい。

いまでも営んでいる旅館があった。
川(現遊歩道)に面して街道の両側に遊郭建築が並ぶ。


守口
京阪電車にのり、京街道の宿場守口へ向かう。今日は1日雨で靴の中はぐしょぐしょ、夕方近くで暗くなり、足は疲れて、守口は次回にしようかと思ったが、「守口到着です」のアナウンスで降りてしまった。しかし守口は、がんばって降りた甲斐のある町並みだった。
京街道(東海道の延長)は秀吉が作った文禄堤(淀川の堤防)の上を利用して整備した街道。守口の宿場は文禄堤の上に展開する。したがって、周辺に発達した現代の町並みに呑まれず残っている。現代の町と守口宿の町並みは約5Mの高さで立体交差している。過去と現代が立体交差する、非常に面白い集落だ。

オレンジのラインが京街道。左が京都、右が大阪。京都方向からみて、1直線に延びる新道から分岐し駅前を通りくねった場所までが文禄堤上に残っている町並み。まさに駅前の現代の町に立体貫入している。

陸橋のように見えるのが旧京街道。上って90度振り返ると町並みになる。


看板建築らしき建物があった。右脇に見える石段は奈良への街道を分岐している。道標が残っている。

部分的に建て変わった建物は2、3階部分で旧道にすりつく計画が多い。

立体交差する京街道。