奈良三大遊郭(2004.08.26)
 

京都駅で最終の近鉄京都線の特急電車に乗り遅れた。しょうがないので急行に乗って大和西大寺駅で乗り換え午前0時ちょっと前に近鉄奈良駅に着いた。大阪からの会社帰りのサラリーマンに導かれるように地下コンコースから地上に出る。駅上は交通広場になっていて、たくさんタクシーが停まっていた。適当に商店街のような道を南へ進むが、中にちらほらと古い町家が挟まっている。「駅前だというのにさすが奈良だなぁ」感心して歩いていると右側に大きな町家が現れた。書道墨の古梅園(登録文化財)である。ここで記憶が2001年1月にフラッシュバックした。そのときも駅から適当に歩いたらここに来たのだ。身体は同じ行動をするものである。そこからフラフラと南へ東へと歩いて行くと自然とホテルにたどり着いた。時刻は午前0時を廻っていた。
早朝6時に携帯電話の目覚まし鳴った。音は「仁義なき戦いのテーマ」(昔のヤツ)にしているが、この曲が突然流れると一瞬ドキッとする。超眠いがこれから朝のうちに3箇所歩かなければならない。ホテルはならまちセンターの正面なので奈良町を歩くには大変便利である。荷物をホテルに置いて、3年前に歩いた奈良町を抜けて「奈良三大遊郭」のひとつ「木辻町」から訪ねる。
奈良町(奈良県奈良市)
奈良の旧市街は京都のように碁盤の目になっていて寺や商家が並んでいるが、京都よりも起伏があり交差点も綺麗な十字で無い場所も多く、景観に変化があって面白い。特に奈良町観光の中心である西新井町、芝新井町、元興寺町あたりは古い家も多く、やはり見所である。元興寺町を抜けると通りはまた一直線になってひたすら南下する。今回も航空写真と地形図を用意してきた。航空写真で町家の屋根が続く通りを選んで歩くと、元興寺町界隈ほどではないが古い家が残っている。旧市街の南の端は「京終(きょうはて)」という地名でまさに町の終わり。京終駅近くに煉瓦倉が残る工場があった。そこからやや西へずれて、一直線に近鉄奈良駅へ向っている通りを今度は北上する。
木辻町(奈良県奈良市)
木辻町に近づいていくと先方に高い屋根が見える。近づいていくとこの建物の全体像が見えてきた。2階にバルコニーが、1階にいろんなパターンの格子が付いている。間違いなく遊郭建築である。「旧第三油屋」という建物だったそうだ。だが、第一第二は残っていない。
その近辺を歩きまわったが、旧第三油屋ほどの遊郭建築は他に残っていない。しかし、開口部を見ると遊郭建築の名残が見られるものがある。後年改修されたものであろう。
旧遊郭エリアは丘の上段下段となっていて、上段には古い旅館が、下段には質屋があった。残る遊郭建築に乏しいながら、このような要素から旧遊郭の範囲を感じることができた。
東岡町(奈良県大和郡山市)
連日深夜残業の上、早朝からの活動なので超眠い。ホテルで一服し、フロントでタクシーを呼んでもらってで大和郡山へ向った。

近鉄郡山駅でロッカーに荷物を預けてから南へ歩く。細い路地を抜けると突然高楼が現れた。奈良三大遊郭2番目の東岡町である。細い通りの両側に木造3階建ての建物が次から次へと現れる。これは凄い!。日本全国にも木造3階建の町並みはあるが、これだけ広範囲に密集して建っている場所はなかなか無いと思う。
閉めきった建物が多く見受けられ、朝早い時間なのでわからないが空家が多いのであろうか。それでも「旅館」の看板を掲げた建物が多いし、営業しているところもある。真ん中に某事務所もあったので、おそらく細々続いている現役の遊郭なのであろう。遊郭というと大抵バルコニーが付くが、大和郡山の場合は出格子の3階建てが結構多い。ファサードがシンプルなので余計迫力を感じる。
町の西端まで歩くと近鉄電車の踏切があった。向こう側は西岡町で遊郭の範囲ではないが、遊郭建築っぽい意匠を持つ和洋館が建っていた。客の注意をひきつけるために洋館を建てた店だったのか、あるいは遊女たちの通う個人病院だったのか。たしかに、東岡町周辺には婦人科・性病科の医院が多い。
大和郡山(奈良県大和郡山市)
東岡町を後にし、柳町商店街を南端からひたすら北上する。沿道には2階に漆喰を塗り込めた町家が残っている。途中、右に町並み整備が進められている紺屋町があるが今回はカット、どんどん北上する。市役所に突き当たって東にシフトし蘭町線を北上する。
本町通りとの交差点には2階タイル貼の大きな商家があり、そこを東へ折れると鍛治町である。鍛治町は今回初めて歩いたが、金属加工業で栄えた町で酒屋などもあり、なかなか見ごたえのある町家が並んでいた。
鍛治町から本町、堺町ときたが、目的の「洞泉寺町」が見つからない。場所を地図に記してこなかったのがいけなかった。人に聞けば早いのだがどうしても「洞泉寺町」という町名が出てこない。タイムリミットが近づいている。どうしよう。
洞泉寺町(奈良県大和郡山市)
携帯電話は便利である。「いらかぐみ」のメンバーに電話して聞こうかとも思ったが、地図サイトで検索してわかった。紺屋町のすぐそばであった。
チラッと見えた木造3階建ての建物を目指していくと旧遊郭洞泉寺町。東岡町ほどの規模ではないが、立派な遊郭建築が並んでいる。洞泉寺町は現役の遊郭では無いものの建物の手入れが行き届いている。特に3階建ての細やかな出格子が美しい。華やかかりし頃の洞泉寺町遊郭はどんな風だったのか。タイムスリップして見てみたいものである。

そこでまた「仁義なき戦いのテーマ」(携帯電話)が鳴った。仕事の電話である。携帯電話で仕事の打ち合わせをしながら無意識に歩いていたら、近鉄郡山駅に戻ってしまった。電話のおかげで紺屋町を再訪できなかった。