吉備路紀行
 

私にとって中国山地は最大のブラックボックスである。中国山地攻略の旅も京都を出発して丹波・但馬と西へ進んできた。今回はさらに西の岡山県を歩こうと思う。特に津山は未知なる中国山地の真っ只中であり、冬空に輝くシリウスのような存在。旅の計画は、この津山に対して町並み歩きに最適な午前中をまるまるあてがうことを最優先した。
2004年12月の土曜日、朝一番のJALで岡山空港へ飛んだ。冬至間近の冬の日は一分一秒が大切である。今日も昼飯など食べている暇の無いハードな旅が始まった。
足守(岡山県岡山市)
空港近くの足守からはじめる。足守はJR吉備線の足守駅からやや離れた場所にあるためレンタカーを使った旅の時に組み込まなければならない。必見の町並みと聞いていたので、どうしても今回訪れたい町でもあった。
弓のように流れる足守川の内側に足守の中心上足守の町がおさまっている。慶長年間以後、陣屋町だった足守は、武家屋敷と足守川の間に町人町が形成されている。北の葵橋から真っ直ぐ南へのびる目抜き通りと中之町から東へ宮地橋に至るまでが見所である。建ち並ぶ商家の規模は大きく平入り本瓦葺で、壁は土壁が剥がれないように雨の良く当たる部分に瓦を張り漆喰で押さえた「海鼠壁」である。海鼠壁は全国各地で見られるが、岡山のものがデザイン的に一番洗練されていると思われるが、これを見ると「岡山に来ているんだなぁ」と実感する。

八塔寺(岡山県吉永町)
足守のそばには吉備津や総社など町並みがあるが鉄道の旅でも行ける場所なので今回は見送る。総社ICから山陽自動車道に乗って和気ICで下り、山の中へ入っていく。山村というと山に囲まれて空が狭いイメージがあるが、岡山県の中国山地の山村にはそういう印象は似合わない。谷の幹線道路から外れて山を登ると上はパッと視界が開けた高原状になっていて集落が点在している。八塔寺もそうで、岡山県東部の標高400mほどの吉備高原上にある。
茅葺屋根の民家は、平入りが基本で横に妻入りの付属屋をセットにしているものもある。空が広く起伏があまり無い地形に一軒一軒が寄り添うことなく屋敷林で囲むこともなく点在する景観は山村としてはちょっと不思議な印象だ。八塔寺は横溝正史の映画「八つ墓村」(山田洋二監督編)のロケ地になった集落。岡山の山奥には間違いないが、中国山地の山村は「たたりじゃ〜」のイメージとはかけ離れた明るい集落景観なのである。


勝間田(岡山県勝央町)
八塔寺から美作町へ行きたいのだが、今年は台風が吹き荒れたので最短の町道が通行止で遠回りをさせられた。美作町の中心地である林野は古い町並みなしと聞いていたがやっぱり無く、一軒の煉瓦造の銀行が残っていた。
一方美作町の隣、勝央町勝間田にはいい町並みがあった。出雲街道の宿場町として発展した町だが交通機関の整備に伴って津山や町並みの無かったった美作町林野に中心性を奪われたという。奪われたので良い町並みが残っているというわけで、右左に緩やかにカーブする街道に平入りの町家と銀行などの洋館が並ぶ。おもしろスポットは和風洋風の町家が対比的に並んでいるところ。何とか写真で表現したいといろんな方向から撮影したが、主屋が通りから引っ込んでいるので撮り切れなかったのが残念である。


弓削(岡山県久米南町)
久米南町下弓削(ゆげ)は岡山と津山を結ぶ津山街道の宿場町であり地域商業の中心であった。津山線が開通した後は津山に中心性を奪われた。ここも奪われたので旧街道沿いの町並みが残っているということか。車でまず流してみたが勝間田ほどには残っていない。大抵の場合端っこにいい建物が残ってしまっている場合が多いが下弓削もそうで、結局端から端まで歩かなければならなかった。町の中央部で鈎型に曲がっておりこの辺りが見所で、レトロな本屋さんと崩れかけている造酒屋がポイントである。

しかし冬至間近の日没は早い。西日本なので有利だが4時で暗くなってきた。もう一箇所なんとか歩きたい。少々遠回りだが高速を利用することにした。


落合(岡山県落合町)
院庄ICから中国自動車道を飛ばす。途中、黒いスカイラインセダンといういかにも怪しい車をゆっくり追い抜いて様子を伺ったところたらところ、屋根から赤く回る光がニョキッ。「しまった!」と焦ったが警告で済んで「ホッ」。レンタカーがパワーの無いビッツでよかった。気を取り直して適度に飛ばす。本日最後の目的地である落合はICから近いため何とか歩ける時間に到着した。
落合は旭川水運の上限地で出雲街道も通っており交通の要衝として発展した町である。旭川の高い堤防の下に町並みがある。それにしても「羊羹屋」が多い。市役所に近い所に超ゴージャスな民家があった。前庭の造りや2階虫籠窓の意匠からただものならぬ商家であろう。


津山城東(岡山県津島市)
初日の夜は津山駅前のビジネスホテルに泊まった。明日午前中、バッチリ津山を歩くためであるが暗くて駅は見えない。なんともいえない旅情をかきたててくれる。翌朝、どんなに大きな駅だろうと窓から見下ろしたら1,2本のホームに2両のディーゼルカーがさびしく入線していた。
津山の町は大きいので2つに分ける。吉井川に架かる駅前の今津屋橋を渡って津山市街に入る。まずは右手の城東地区から歩くこととしよう。津山城のすぐ下を流れる宮川を渡り鈎型を抜けると直線的な町並みが始まる。吉井川→出雲街道沿いの町人町→武家屋敷町→寺町→山林という構成が2ヵ所の鈎型を挟んで約1.5kmつづく。そのすばらしさは町並みが長いことと町家が軒を連ねて間に邪魔者無く残っているところ。町ごとに川と山方向に向う横道が交差しており、そういう場所に大きな商家が建っていて場所場所の特徴をつくりだしている。ここまで長いと歩いて戻るのはしんどい。一番端に辿りついたところでうまいこと循環バスが来たので乗り込み、城東城西地区の中間にある大手まで戻る。

 

 
津山城西(岡山県津山市)
津山といえば城東地区の町並みが有名だが城西地区はあまり知られていない。そこで色々な情報をかき集めてターゲットを絞ってやってきた。
宮川と今津屋橋(大手)間の町並みは出雲街道沿いに城東地区から延長されるように町並みある。大手地区は中心地区で、教会や洋館も見られる。今津屋橋近くの堺町・船頭町は河港の名残か旅館や遊郭の町。城の真西の田町・椿高下は武家屋敷町で長い土塀や門が残っている。椿高下にある津山高校には古い校舎が文化財として保存されている。商業地の中心市街は更新されるため古い町並みは中心市街から離れたところに残る場合が多く、城東地区もその理由が大きいと思われるが、城西地区にもあるはずである。丁度、城からみて城東地区の古い町並みと対称の位置にあたる今西町にも町人町の古い町並みが残っていた。6M程度の軒高のそろった町並みの中に一際でっかい洋風近代建築である旧土居銀行が建っている。一見スケールオーバーだが、基壇の石のラインが町並みの軒ラインと合わせてデザインされており、当時設計するにあたって町並みとの調和が意識されたのであろう。道路の舗装工事が行われていた。やがて城西地区の観光スポットになるのであろう。今西町のさらに西は今寺町という寺町がある。津山は見ごたえのある中国山地の大きな町であった。

 
 
久世(岡山県久世町)
津山で半日をかけてほぼ全体の要所を歩いた。疲れたのでたまにはゆっくり昼飯でも食べよう。といっても金と時間は大事なのでコンビニで弁当を買って駐車場の車の中で、デザートつきのフルコースだ。
久世は立派な尋常小学校がどーんと残っている。今では使われていないが校舎の中はそのままにしてあって自由に見られる。あまりにも自由なので「火でもつけられたら大変なのに」と心配してしまう。
町並みは国道181号線を挟んで平行する2本の通りに見られた。切妻で水切り小庇や海鼠壁が描かれた大きな妻面が特徴である。ある場所に殆ど同じ大きさのでっかい妻面が、片や漆喰壁、片や剥げ落ちた土壁が対比的に並んでいた。ここに立ってどっちの壁に魅かれるか。土壁に魅かれたらあなたは郷愁系である。


勝山(岡山県勝山町)
久世から西へ5KM走る。勝山は旭川と新庄川の合流点付近に発達した町である。街道沿いの町並みはもとより、川べりに石垣を積み上げた集落景観はすばらしい。石垣フェチの私としては今回訪れた町の中ではピカイチと言って良い。石垣には川に下りる階段があって、かつては船で運ばれた物資を運び上げたのであろう。あれがコンクリートだったら評価点は半減である。なぜ石垣に魅かれるのにコンクリートには幻滅してしまうのだろうか。やっぱり自然の素材に対して人間の体というのは癒されるのではなかろうか。コンクリート壁を石垣に変えるだけでかなりの数の町並みがよくなるものと考えるがいかがであろうか。

月田(岡山県勝山町)
月田は出雲街道から分岐する東城街道の町で勝山から西へ8KM弱の位置にある。岡山城の横を流れる旭川の支流にあたる川に沿って旧東城街道は通っているが、旧街道は両側に切妻平入の町家を並べている。町並みの真ん中あたりにT字型の交差点があり、間口の大きな町家と向い側に美しい土壁の蔵が建っていた。蔵の脇の水路を豊富な水がザーッと流れていて、いかにも山の中の街道といった風情である。その感じは県境を越えた鳥取県根雨宿の佇まいににていた。


見尾(岡山県勝山町)
月田から勝山へ戻り町を通り越して北へ上る。「日本の集落」に紹介されていた中国山地の山村を訪ねる。山村といっても八塔寺集落と同様、山深い感じを受けないほど空が広い。集落の入り口に製材所があり、林業が盛んだった地域であることがわかった。民家は一軒一軒が離れて建つ農家であるが、ここにもしっかり海鼠壁が息づいている。しかも丸型に瓦を残すように漆喰で固められた民家がやたら目についた。


新庄(岡山県新庄村)
3たび勝山に戻り、今度は出雲街道を北西へ向う。この街道は県境を越えると鳥取県の根雨宿にでる。そういえば今回、海鼠壁ばかりに目を奪われていたが、鳥取県に近いエリアでありながら根雨で見られる赤瓦がどこにも無い。
出雲街道、岡山県最後の宿場町新庄にやってきた。相変わらず空の広い中国山地の山中ながら、新庄でついに瓦屋根が赤くなった。鳥取が近いんだなという実感が湧いてくる。新庄宿は旧街道の道幅が広く水路と桜並木になっている。春の桜の時期はさぞ人が集まるのであろう。今は冬、観光客など私一人であった。
倉敷(岡山県倉敷市)
吉備路の旅、2日目は新庄で夕暮れとなった。まだもう一箇所いけそうだったが、歩きつかれて足も棒のようになっている。歩く気もしないので今晩の宿泊地、倉敷へ向う。倉敷ではアイビースクエアを予約している。部屋に荷物を置いたが疲れているのでホテルで夕食をとることにした。ビールを一本空けたら良い気持ちになってしまった。ほろ酔い気分で散歩がしたくなり倉敷本町あたりをぶらついた。すると、これがなかなか良いではないか。もちろん歩いたことはあるが、さすが倉敷である。翌朝、早起きしてもう一度倉敷の町を歩いてみた。町並みとしての整備はされててはいるが、それでも古い町並みとしての格調は高い。されど倉敷である。

八浜(岡山県玉野市)
早朝倉敷の町を歩いた後、岡山市へ戻りながら瀬戸内の町並みを歩く。倉敷市藤戸町は倉敷の南東7,8KMのところにあるが朝の通勤時間で旧道といえども交通量が多く、車が停められそうな場所が見つからなかったので今回は見送った。干拓地の中を走って、この旅最後の訪問地は児島湖(海)に面する八浜の集落である。八浜は潮の穏やかな内海に面する集落で郷愁度の高〜い町並みである。特に酒屋と醤油屋の向かいあう場所がたまらなく良い。こういう年季の入り方というものは造ってできるものではない。


岡山の市内はやはり混んでいた。藤戸をカットしたのは正解で、一本早い新幹線に乗ることが出来た。新神戸に到着した時、時間に余裕があったので、北野町を再訪することができた。