岩手・秋田(2004.08.08-10)
 

昨年夏、家族旅行で東北を走って北海道へ行って以来、ちょうど一年ぶりに東北地方へ進路をとった。今年の夏は特に暑いので、なお更のこと西へ向う気がしない。
帰省ラッシュを避け、6時前に東京近郊を脱出する。東北自動車道はそれでも交通量が多く、2車線になる宇都宮以北は平均速度も低くなる。しかし、仙台を過ぎると交通量はガタッと減り、10:30amに一ノ関インターに到着した。
今回の目的は八幡平リゾートでの避暑だが、行きと帰りに集落町並み探訪をサクッと組み込んでいる。対象地はどう転んでもいい様に、岩手県南部、北部、秋田県南部の資料を準備してきており、家族のご機嫌を伺いながら行ける所に行こうという、用意周到の行き当たりばったり作戦である。
一ノ関ICから東へ走り、ゆったりと流れる北上川を渡る。対岸の橋の袂に家並みが見える。「あなたの好きそうな街じゃない」と女房。「いい町並みがありそうだなぁ」と町に入っていく。「これはよさそうだ。歩くことにしよう」と、あたかも女房が発見したかのごとく装っているが、実は予定していた「薄衣」の町なのであった。
薄衣(岩手県川崎村)
薄衣は北上川と舞川、千厩川の合流点に位置し、北上川の舟運とともに宿駅として、物資の集積地として発展した町である。北上川を渡る旧街道の橋は、国道の新しい綺麗なデザインの橋に架け替えられていた。橋の無くなった旧街道沿いの町並みはL字に形成されている。古い町家は入母屋2階建て妻入が基本形で、町並みは空き地が目立つ歯抜け状態になっている。しかし、一軒だけ平入の一際高さの高い立派な出桁造りの町家が残っていた。江戸東京で見られる出桁造りそのままである。また、全体的に通りに面して蔵を並べることは無く、敷地の奥のほうに石倉が数棟見られた。

摺沢(岩手県大東町)
大東町は周辺の村が合併してできた町なので、中心市街地的な場所が散在している。一ノ関と陸前高田を結ぶJR大船渡線は、一ノ関から真っ直ぐ東へ進めばよいものを陸中門崎と千厩間で大きく北へ迂回して摺沢を経由している。摺沢は今泉街道と千厩街道の交差する交通の要衝。鉄道を迂回させるほど重要な町であったのかと思うほど立派な蔵造りの町並みが見られる。特に桝形近辺に大きな家が競うように建っていた。
大原(岩手県大東町)
大東町2番目の蔵造りの町並みである大原。鉄道駅は無いが徒歩時代に相当栄えたのであろう、摺沢に勝るとも劣らない蔵造りの町並みである。特に酔仙酒造の建物はすごい。赤瓦と赤海鼠壁、屋根周りの形状など、立派な店蔵では全国的にも上位にランクする建物ではないだろうか。
一般的な店蔵は妻入が多く、雪対策と装飾性の理由から海鼠壁が随所に使われている。
当時のこの地方の大工のデザインセンスと技術の高さが伺える。
猿沢(岩手県大東町)
大東町3番目の蔵造りの町並みである猿沢。残っている建物は前の2つの町並みほどではないが蔵造りの商家が多く、妻入り左右対称の標準的な店蔵が並ぶ。町並みの中に戸袋の装飾や側面に2階を張り出した、この地方でよく見かける様式の家も見られた。

前沢(岩手県前沢町)
国道4号線ラインに戻る。「前沢牛」で有名な前沢の町は、旧街道に沿って残っている。大東町とは打って変わって蔵造りは無いが、軒下や戸袋・開口部を飾った出桁造りの商家も見られた。
町の中心部には「大幸邸」と呼ばれる大きなお屋敷があった。

さて、盛岡では岩手に住む友人と待ち合わせてtる。ここから盛岡まで東北自動車道で約80km北上する。
盛岡紺屋町(岩手県盛岡市)
盛岡は以前、市内のどこかで「わんこそば」だけ食べたことがある。その時は食いすぎて、その晩十和田湖畔のキャンプ場のテントの中でうなって眠れなかった記憶がある。

そんな訳で、盛岡は始めての町歩きである。下調べでは3箇所に見所があるが、今回は2箇所を歩いた。
紺屋界隈は市内を流れる中津川に沿って展開する盛岡の旧市街。辰野金吾設計の煉瓦造岩手銀行中ノ橋支店などの近代銀行建築が3棟と「くの字」に曲がったところに残る商家「ござ九」、洋風の紺屋町番屋など見ながら歩いた。
盛岡鉈屋町(岩手県大東町)
紺屋町を歩いていると友人が現れた。紺屋町から1kmほど離れたな鉈屋町を友人に案内してもらう。
まずは北上川の明治橋を渡る。大きな酒屋が2軒通りを挟んで向かい合って建っていた。
明治橋の袂近くは
北上川水運の船着場。その近くに鉈屋町がある。町の中には「大慈清水」「青龍水」といった清水が湧いており、地域住民の生活用水として使用されている。そのような理由から鉈屋町は酒屋の町でもあった。
横手(秋田県横手市)
横手城の山の麓に、横手川を挟んで造られた城下町。山と川の間は武家屋敷町で、羽黒町界隈に黒塀が続き、庭の高木の緑に覆われた武家町特有の景観が見られた。
横手川を渡ると町人町。古い町並みとしては連続するほど残ってはいないが、洋風を取り入れた商家や旅館なども見受けられ、町人町の面影を残していた。
浅舞(秋田県平鹿町)
皆瀬川扇状地に立地する浅舞は豊富な湧き水に恵まれている。近世は郡奉行所が置かれ、地域の中心であったが、大正14年に大火を経験しており、現在の町並みはそれ以後のものと言われている。
切妻妻入の町家は、2階に軸組みを現す意匠で、雪対策で玄関が飛び出して付くがその屋根が円形なのもこの地域の特徴である。
増田(秋田県増田町)
中世増田城の城下町で立った市から在郷町として発展した。
横手や浅舞でも見かけた軸組みを現し母屋を突き出した切妻造りの町家だが、特にここ増田では「出母屋」が強調され、中には棟まで飛び出している立派な商家も見られ、往時の繁栄ぶりが感じられる。
町並みはL字に展開しており、中には洋風の商店もあったりして、歩いて楽しい町並みであった。