姫路・小野・三木(2004.07.29)
 

東京駅の9番線ホームに寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」が入線してきた。この寝台列車は値段の割りに「のびのび座席」や「B寝台個室」など充実しており、平日であるがホームで待つ利用者は結構多い。自分のB寝台個室に荷物を置いて10キーで施錠。発車もしてないうちから車掌室の扉をたたいて「シャワー室利用カード」を購入し、シャワー室へ直行した。このシャワー室、カードを差し込むと6分間の間シャワーが使える仕組みになっていて、途中洗ったりしている時間は止めることができる。頭と体を洗うには十分の時間である。個室に戻って寝台に寝転ぶと、冷房が効いていて冷たいシーツの肌触りが気持ちいい。早々に眠ってしまったが、静岡・名古屋・大阪で目が覚めた。寝台列車というのはどうしてか停まると目が覚めるものである。
台風の影響か、定刻より15分遅れて5:45am姫路に到着した。今日はここから神戸三宮11:00amまで、兵庫県南西部の4箇所の町並みを歩く予定である。
姫路駅前のタクシーに乗り、姫路市内の野里に向かった。姫路は世界遺産でもある姫路城あるので古い町並みが残っているようにイメージしてしまうが、反して姫路は「軍都」であったため、旧市街の殆どは戦災で焼けている。どこかに残ってはいないかと戦災地図と航空写真を眺めて見ると、姫路城のすぐ北東に北へ一直線に伸びる町があり、そこに古い町並みがありそうである。タクシーの運転手に聞くと「商店街だ」というので「もしやアーケード街か?」と不安がよぎった。その町並みの最も奥の地点近くで降ろしてもらった。
野里(兵庫県姫路市)
野里は姫路城の外堀から真っ直ぐ北に伸びる鍛治町〜大野町〜威徳寺町の商店街は旧但馬街道沿いの街で、1km以上の平入の町並みが見られる。姫路城の南側が姫路の市街でその殆どが戦災にあったが、野里は姫路城の緑地と外堀で隔てられていたため延焼しなかった。古い町家は軒を連ねるほど残ってはいないものの、戦災都市である姫路市内では貴重な歴史空間といえる。町並みは長く直線的で、2階が漆喰虫籠窓の町家、戦前戦後の商店などが見られるのが特徴で、レトロな現役の商店街である。北端のエリアは遊郭っぽい建物を散見したが、後で調べたら旧遊郭松ヶ枝町であった。
小野(兵庫県小野市)
姫路から山陽本線を上り、加古川でディーゼルカーの加古川線に乗り換える。田園地帯の中を30分で粟生駅。ホームの端っこにさびしげに停車している神戸電鉄粟生線に乗り換え、2駅で小野に着いた。まだまだ早朝、学生ばかりが乗降する。
小野では、南北と東西の街道が交差しており、航空写真によって南北の通りをメインにして町並みがあることを予測していた。ところがこの南北の通りが商店街で、アーケードがかかっていた。ちょっと落胆しかけたところ、歩いてみるとなかなか古い商家が建っている。直行する東西の街道には町並みは残っていないが、交差点に道標が建っており、辻としての面影が残っていた。戦後の建物も混じっており、アーケードもあいまって昭和レトロが感じられる町並みである。早朝で人っ気が無かったが、しばらく歩いているうちに商店のシャッターが開けられ商店街の一日が始まった。
三木・姫路街道(兵庫県三木市)
神戸電鉄で4駅、三木に向かう。田園風景の中をのどかな朝の風景である。
三木駅から市街へは川を渡る。三木は秀吉のつくった城下町だが、四つの街道が交わる交通の要衝のため、古い町並みが広範囲にわたって続いている。まずは、西へ向かう姫路街道の町並みを歩く。中2階を漆喰で塗りこめた古い町家、2階の建ちが高い比較的新しい町家、いずれも切妻平入をベースにした町並みが形成されている。
本町界隈は四つの街道が交差するエリアで、街路の線形も複雑である。航空写真を頼りに瓦屋根が綺麗に並ぶ通りを狙って歩くと町並みはアメーバ状に続いていた。最大の見所は本町2丁目界隈で、三木駅から福有橋を渡って旧姫路街道を左に入ったあたり。重厚で立派な商家に挟まれる。
三木・湯ノ山街道(兵庫県三木市)
三木を始点に東へ伸びるのが湯ノ山街道。上の丸の丘下のアーケード街を抜け、神戸電鉄の下をくぐって右に折れると湯ノ山街道に沿った町並みが展開する。姫路街道沿いの町並みとは対照的に、微地形のアップダウンや曲がりが多く、歩くにつれて景観が変化するシークエンスが面白い。
府内町と芝町のあたりには大きな造酒屋がドンと店を構える町並み。坂を上った大塚町は標準的な規模の町家が緩やかにうねりながら連続する町並みが見られた。
町を抜け、神戸電鉄恵比寿駅に辿りつき、早朝の町並み散策を終えた。冷房の効いた車内で体を冷やしながら、神戸三宮に10:30am到着。さあ、これから仕事だ。