米沢街道・白河街道を往く 
(2003.04.14) 

昨日、陸前浜通りの海岸線を北上し宮城県に入った後、宮城蔵王に泊まった。今年は雪が多かったので蔵王連峰はまだまだ白い。今日は米沢に抜け、会津から白河街道を通って白河に至る予定である。蔵王の山越えはまだ無理なので、七が宿経由で米沢に向かうこととした。


二井宿
七が宿街道は白石から楢下にかけて以前訪ね歩いている。今日は、湯原から七が宿街道と分かれて二井宿峠へ向かう。峠の手前に湿原があり水芭蕉の群落がある。ゆっくり見たいが今日は白河街道の宿場をすべて巡らなければならないので涙をのんでカットする。七が宿町は高原上のため、二井宿峠の山形県側が谷になっている。国道は新道が整備されていて大きく迂回しながら高度を下げていく。おかげで二井宿の旧道はそのままになっていた。
二井宿は上宿と下宿とに別れており、その境界地点がT字の交差点で柏木峠を経て楢下へ至る道を分岐している。このT字交差点付近が中心であったらしく、大きな民家が集まっている。下宿はバイパスによって2分されてしまったが、バイパスとの交差点付近に店蔵が残ってる。
集落の北側に小川が流れているが、ほたるで有名だと地元の方が説明してくれた。

二井宿T字交差点付近から二井宿峠を見る。写真奥の山を越えると七が宿街道と合流する。

T字交差点に残る商家「加登屋」。旧銘板の上に、現在のタフライト工業の看板がかかっていた。

蔵で正面を構え奥に主屋を配する旅館。既に営業はしていないが、かつての大旅篭の面影が感じられる。

蔵の窓には様々な意匠が見られて面白い。南東北では蔵を正面に構えて派手な装飾を見せる形態が多い。

下宿のバイパス交差点近くに残ってい店蔵。通りに店蔵を並べて裏に立派な庭園を持っていた。
 

糠野目
米沢街道の旧道沿いに路村状に糠野目集落はある。近世、経済的に苦しかった米沢藩は、下級武士たちに原野を開拓させたため郷士集落が形成された。糠野目の郷士集落は、間口が7間と広く、各家が庭を持つ農家型の町家が並んでいる。かつての町並みは、軒の深い切妻屋根の民家が並んでいたようで、妻側には葺き下ろしの庇がついていた。
参考にしている本(「日本の町並み2」)に載っていた切妻民家が建ち並ぶ町並みを期待して訪れたが、時既に20年ほど遅かったようで、期待した町並みは見られなかった。しかし1軒だけ、さすがに草葺はトタンで覆われていたが、切妻民家が残っていた。辧天酒造は、大きな屋敷の佇まいを見せている。


糠野目の町並み。かつての切妻屋根の町並みは見られない。

辧天酒造。

軒の深い切妻民家が残っていた。この民家が並んでいたのが糠野目の町並みだった。
草葺寄棟民家が残っていた。
 
入田沢
米沢から喜多方へ抜ける国道121号線は、いままで何度も走っているが、そのほとんどが夜なので、今回ひさびさに昼間に通る事となった。入田沢はこの国道沿いにある農村である。入田沢を過ぎると喜多方への山越えとなる。
入田沢は「日本の集落1」で民家の写真が一枚載っていただけの集落だが、訪れてみると藁葺き民家が数棟あり、なかなか良い集落であった。藁葺きの民家は中門造りが2棟、付属屋が1棟残っていた。除雪されて山のように積み上げられてた雪が徐々に解けながらまだ残っていたが、雪解けにより川の水量は多く、白い残雪と水のせせらぎの音の絶えない、気持ちの良い集落だった。

中門造りの大きな民家。

中門造りの民家。外壁に改造が少ない。

藁葺き屋根の付属屋。
 

三津谷
大峠トンネルを越え福島県に入る。山を降りると喜多方の町である。当然のようにお腹がラーメンを要求してきた。今回は喜多方の町中の行きつけの店はやめて、久々に三津谷でラーメンを食べる事とした。
明治30年代に、近くに出来た煉瓦工場(村民も出資)のおかげで、この村を中心に煉瓦蔵が建てられた。いまでは、蔵の町喜多方観光のオプション的位置付けでラーメン屋や観光バス駐車場も整備された。煉瓦蔵は構造が木造のため土蔵より水分を通し、木が腐らせてしまうようで、その後建設されなかったようだ。三津谷の近くには村民が競って通りに面して蔵を建てた杉山集落がある。下の写真はいずれも15年ほど前に撮影したもの。

最初はこの煉瓦蔵だけがラーメン屋化した。

有料の資料館になっている。以前は庭まで無料では入れたが、今はお金を払わないと入れない。

煉瓦蔵をくぐって入った中にも煉瓦蔵がある家。

煉瓦蔵を居室化した事例。

喜多方南町通り
喜多方南町を通過・・・・と思ったが、やっぱり降りたくなって歩いてみた。ここを歩くのも15年ぶり。

さて下の写真どっちが15年前でしょうか。
答えは右側。なんか逆の様に見えませんか。漆屋さんのお店はやめてしまったのか。前より今のほうが自然な町並みになっているように感じた。15年前の写真は、学生時代の友達と訪れた時のもの。
 

会津若松
会津若松も10回は行っている。しかし、町並みはろくに見ていなかった。これから白河街道の宿場を
巡らなければならないのにいつもの欲張りな性格が出て、会津若松にも寄ることにした。大町通りはアーケード街の1本西側の道で、電柱の地中化やきれいな舗装が施されており「ここだな」とわかるようになっていた。会津若松市役所も近代建築として現役である。
会津若松の商店街(アーケード街)は、この手の地方としては珍しくにぎわっていた。大抵の町がバイパス沿いに商業中心が移っているのに大したものである。

野口英世が手術を受けた会陽医院の蔵を再現した、喫茶壱番館。

大町通りの町並み。福西本店。

大町通りの町並み。

大町通りの町並み。
 

赤井
会津若松から猪苗代湖へ、抜け道の峠を越える。くねくねと登ると向こう側は高原状で、猪苗代湖がいかに高い位置にあるかが体感できた。さて、メインイベントの白河街道を上る。が、既に4時をまわっていた。白河街道は15年以上前に2度通っているが写真が無い。記憶では、大内宿のように寄棟の民家が短冊状に庭を挟んで並んでいた記憶である。
赤井集落は、白河街道の旧道に沿って規則正しく、寄棟、入母屋の民家が並ぶ。中には総2階建ての民家もあった。

規則正しく農家型町家が並ぶ、赤井の町並み。

総2階建ての民家。煙出しがかわいい。

典型的な寄棟の民家。サイドに庭を持ち、庭に面して玄関が真中につく。有名な大内宿をはじめ、この辺の宿場はほとんどこのパターン。

大内宿のように水路が流れる。
 


西田面の集落はやや勾配があるため石垣が特徴的ではあったが、民家としてはあまり残っていない。
原の集落は赤井と同様、街道に沿って規則正しく農家型町家が並ぶ町並み。
街道がバイパス化されていないため交通量は多く、歩くには落ち着かない町並みであった。

本来は寄棟だろうが、入母屋も多い。

奥行きが深く庭を挟んで並ぶのが特徴
 

赤津
赤津も赤井、原と同じ形態の町並み。寄棟で妻面を切ったタイプの民家が見られた。


赤津の町並み。

比較的新しい民家は2階建てだが、配棟は同じである。

福良
猪苗代湖の南に位置する福良は、かつては会津藩の代官所が置かれる、周辺地域の中心地であった。福良宿は、街道の両側に
旅篭や商店が軒を並べてにぎわっていたが、鉄道が猪苗代湖の北岸を通ったため町は衰退し、農村集落へと変わった。
繁栄した町らしく、今まで見てきた猪苗代湖西カ岸の似たような集落とはちょっと違う。かつての宿場としての繁栄を忍ばせる店蔵が何軒か残っている。また、不思議な洋風看板建築が残っており、興味をひく。通りから脇に入るときれいな寄棟の茅葺民家が並んでいた。

頭でっかちな店蔵が大屋敷の一角に建つ。

平入りの店蔵。

不思議な看板建築。通りからちょっと引っ込んで建っているのと、側面に窓が少ないことから映画館だったのではないだろうか。

通りの裏には、きれいな茅葺の寄棟屋根が並んでいた。
 

御代
江戸時代、100戸、旅篭20軒があった白河街道の宿場。山王峠の次に位置したため宿場としてはかなり栄えたという。福良と比較すると店蔵は少なく、寄棟の茅葺民家が残っていた。
御代を後にし山王峠を超えたところでタイムアップ!。白河と山王峠間の集落町並みを残した。次回は三春の武家屋敷、白河街道の宿場、南西会津の農村を組み合わせて新潟に抜けるコースで、福島県内の集落町並みを全走破することとなろう。

御代の町並み。

土蔵造りの住宅。

寄棟の茅葺民家。

寄棟の茅葺民家。